・山のあらし吹きしづまるとおもひしころ見る見る雪は降りしきりけり・
「暁紅」所収。1936年(昭和11年)作。
茂吉の自註から。
「白骨温泉のつづき(=其の二)で、強風がしづかになったかと思ふと雪になって来た。その降る雪もすさまじいもので、かういふ山間に生物のゐるのは不思議に思はれるくらゐである。それほど深刻で猛烈なものであった。自分はこの山間の猛風と吹雪とに逢って、非常に感動しつつ、辛うじてこれだけの歌を作ったが、まだまだ体力の不足を感じたのであった。もっと心を集注して練るだけの体力を欲したのであった。この希求はこの大旅行全体を通じての希求であった。」(「作歌40年」)
佐太郎の評価。
「木曽旅行につづいて蓼科山麓の温泉に遊び、さらに一人で白骨温泉に遊んだ。ここで晩秋の厳しい『山荒れ』を経験した。・・・(茂吉の自註)・・・当時もし作者が雑誌に発表したならばもっと集注して作歌しただろう。」(「茂吉秀歌・下」)
共通する評価は「事実をどう詠むか」であるが、塚本邦雄はこう言う。
「(尋常な凩であった山上の風が)第二部に入ると急に勢を増し、作者が恐怖を覚えるまで吹き荒れる。修辞はこの表現の凄じさと、おのが心の動揺を写さうと、あせりいらだち、時には失語症めいた稚拙な斡旋も敢へてするやうになる。」(「茂吉秀歌・白桃~のぼり路・百首」)
ここに読みかたの決定的違いがある。茂吉・佐太郎は「事実をどう写すか」に徹しているのに対し、塚本邦雄は「事実を写した作者の心の中」まで読み取ろうとしている。
僕は塚本的な読みを支持したい。なぜなら、叙景は心情のシンボルとして使われているからである。写実に於ける象徴とは佐太郎の言うように「事実の裏に何か大きなものが隠れているのを感じさせる」ものであると思うからだ。
心には形がない。そこで客観的事実を象徴として用いるのだ。「目に見えるものを写すことによって、作者の心を写す」と岡井隆が言うのはここにある。
これが「万葉調を駆使した独創的な悲歌」(岡井隆編集「集成・昭和の短歌」)の端緒で、のちの歌集「白き山」に結実するばかりか、佐太郎の「独特の象徴的技法」に繋がっていくと思うのである。
「集成・昭和の短歌」の冒頭には、岡井隆が「昭和短歌の潮流」という序文を書いているが、そこには概略次の様にかいてある。
「大正の短歌は島木赤彦の死を以て終わった。ここにはその大正歌壇の到達点を踏まえて出てきた『新風』と、それをまた踏まえた『戦後の新風』の歌人の代表歌集からの作品が載っている。」
この前者には斎藤茂吉があり、後者には佐藤佐太郎がある。個人的な話だが、僕の作歌の方向性は、この茂吉と佐太郎を踏まえ「新」を積むことにある。第2歌集「オリオンの剣」、第3歌集「剣の滴」によって、作歌の方向性が明確になったと感じている。