岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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書評:歌集「耳ふたひら」 松村由利子著 書肆侃侃房刊

2015年04月18日 23時59分59秒 | 書評(文学)
松村由利子著 「耳ふたひら」侃侃房刊

 タイトルの「耳ふたひら」(耳ふたつ)。何かの比喩のようだが、その意味は次の作品で垣間見える。

・耳ふたひら海へ流しにゆく月夜鯨のうたを聞かせんとして

・縦と横きっちり測り男らは世界の耳をまた切り落とす

・時に応じて断ち落とされるパンの耳沖縄という耳の焦げ色

 作者にとって、沖縄は「パンの耳」のように切り落とされてきた歴史を持つ島々なのだ。「鯨のうた」は平穏の比喩、「ふたひら」は石垣島と本土の二つの故郷だろうか。5年前に、石垣島へ移住した作者。そこで「自分の呼吸が少し深くなった気がする。」と「あとがき」にある。その言葉の通り新境地を開拓したようだ。

 沖縄は、戦前、戦中、戦後と、本土の捨て石にされてきた経緯がある。琉球処分、沖縄戦、アメリカによる占領と、米軍基地。

 そんな沖縄の歴史を怒りと悲しみを持って作者は見る。

・島ごとに痛みはありて琉球も薩摩も嫌いまして大和は

・ソメイヨシノの咲かない島の老若に散華教えし国ありしこと

・パイナップル景気も遠い物語マンゴー農家が徐々に増えゆく

 また石垣島の風土を詠んだ叙事詩的作品や、自分が島に住む意味を問う作品もある。

・亜熱帯の厳しい自然ほうたるも蝉も小さく進化遂げたり

・不意打ちの雨も必ず上がるから島の娘は傘を持たない

・住まうとはその地を汚すことなればわれ慎みて花植えるべし

・半身をまだ東京に残すとき中途半端に貯まるポイント

・わたくしも島の女となる春の浜下りという古き楽しみ

 作者は石垣島へ移住した。しかし東京などでの活動をやめた訳ではない。昔の言葉で言えば「自由移民」だ。自分は島にとっての余所者ではないかという葛藤も見える。しかし島への移住は、作者の感性に磨きをかけた。それは次の作品に見える。

・鳥の声聴き分けているまどろみのなかなる夢の淡き島影



・夜の舌あまねく島を覆うとき小さき湾のやや動悸せり

・言えぬことを呑み込む夜に育ちゆくわが洞窟の石筍いくつ

・春の海のどこまでが春 日の光届かぬ場所に卵冷えおり

 叙景歌や心理詠に深さと厚みがある。都会では持っていなかった、感じ方を島の生活で身に着けたのだろうか。また沖縄でひしひしと感じるだろう社会の不条理を詠った作品もある。島に住んでいるだけに、当事者意識が強く、作品が他人事となっていない。

 そのほかテロ、戦争、原発、憲法改正、秘密保護法、南北問題、沖縄の基地問題、選挙など、社会的視点も鋭い。冒頭の「楯と横をきっちり測る男ら」とは、辺野古で進む、基地建設を素材としたものと、読んだ。作者の視点、作品の主題、が明確なだけに、文体が軽く、俗語もときにに使われるが、作品自体の重量感が担保されている。

 また自分の年齢を考えた、境涯詠に秀作がある。一首のみ抄出しよう。

・もうわたし器でなくなる日も近い川面に石を投げ続けても

 刊行を心から喜びたい。





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