このブログの古い記事を読み返していると、たびたび驚く。何故かと言うと、忘れていたことを思い出すからだ。「運河の会」の出発点は「茂吉と佐太郎との歌論と実作に学び」「写実の進展を図ること」だった。研究会で佐太郎の遺歌集「黄月」を選んだのもその出発点を確認する意味での事だった、と僕は理解している。
:一日目:
・作品研究(歌会)・・・僕はBグループに参加した。
短歌の素材
「三月の雪」「差羽の群れ」「梅林の中の参道」「存在の偶然性、必然性」「孫を諌める娘」「注連縄を巻かれた巨木」「乾いた歩道に映る裸木の影」「トンネルの向こうの県境で見た虹」「蟻を見つめる子供ら」「差しつ差されつ飲む酒」「後継者のいない農家の畑」「気合かけつつ走る生徒ら」「亡き吉本隆明」「水難者を供養する無縁仏堂」「老師(佐太郎)の歩んだ寺の境内」「帰らざる人に会いたいという挽歌」「山茶花に見る『春の悲しみ』」「石巻高校球児の奮闘」「雲海の深々覆う山道」「曇り日の凍った池の睡蓮」「杣山の春」「正座より立とうとして立てない自らの老い」「裡深く棲む人を偲ぶ挽歌」「青田風の吹く午後」。
論点
「固有名詞によって感性が固定化しているのではないか」「理屈になっていないか」「オノマトペで一首が台無しにはなっていないか」「言葉が詰まった感じになっているのではないか」「一首の中の言葉に、どれほどの意味があるか」「意味が分かりにくいのは語順に問題がある」「吉本隆明は科学者ではない」「故事来歴を知らなければわからない歌になっているのではないか」「言葉遣いは適切か」「丁寧過ぎ、また、表現に甘さはないか」「具体的すぎるのではないか」「情景が伝わらない」「老いを詠うのはよいが愚痴になってはいないか」「言葉のバランスがよくないのではないか」など。
・懇親会(夕食)
グループごとに匿名の作品群に投票して、得票数の最も多い作者が「大会賞」として、表彰された。僕はBグループの第3位だった。
その他に「長沢一作賞」なども表彰された。
・自由懇談会
「戦後短歌と茂吉・佐太郎・・・新写実の方向性」:報告者・岩田
要約すれば、「斎藤茂吉と佐藤佐太郎に学ぶ現代的意義」「今なぜ茂吉か」「今なぜ佐太郎か」ということ。またそれに「新」を積むには何が必要か。「短歌研究」「角川短歌」の記事や特集などを参考にして、配布資料とした。
:二日目:
・研究会・・・佐太郎の遺歌集「黄月」について:発表者・下江・佐瀬:助言者・長沢代表:
「黄月」は佐太郎本人の編纂ではなく、あからさまな感情表現があるなど「佐太郎らしからぬ歌集」。記録的な意味はあっても、収録されているものの中には短歌の出来が佐太郎らしからぬ作品も含まれている。(佐太郎自身の歌論に照らして疑問符をつけざるを得ないもの。)
・総会・・・年間賞発表・会計報告(会計を明らかにするのは「運河の会」の一つの特徴)
・山内照夫(元代表)を偲ぶ会
一泊二日と短期間だったが「黄月」を俎上に乗せるなど、「運河」創刊の原点を確認出来たのは、大きな収穫だった。来年は斎藤茂吉没後60年である。