戦後の新時代の歌 土岐善麿の短歌
・大本営発表すらを信じがたきものたらしめし「聖戦」なりき
・武力なき平和国家のなすわざを世界に誇るとき来たるべし
・新しき年のはじめに祈るらく世界はみたび戦ふなかれ
・軍閥の最後のいくさに敗れしときはじめて正しく世界の民となりぬ
1946年(昭和21年)刊の『夏草』に収録されている作品。満州事変から15年。東京大空襲、沖縄戦、広島長崎への原爆投下。この戦争で日本は焦土と化した。そして敗戦。巷には「戦争はこりごり」という気持ちが溢れていたろう。長く苦しい戦争がやっと終わったのだ。
先ずは歌意から。一首目。「審判」という但し書きがある。これは戦犯に対する社会的審判を指す。戦時中に作者は思想弾圧を受けた一人だった。「聖戦」と呼ばれた戦争が、大本営の虚偽の情報で遂行されていたのを、多くの国民は戦争が終わってから知った。
二首目。日本国憲法はまだ公布されていないが、それを先取りするような内容だ。戦争はコリゴリ、戦争のための軍備も要らない、という感情が広がっていたのだろう。
三首目、四首目。三首目の「らく」は「・・・すること」の意味。第二次世界大戦が終わって、第三次世界大戦が起こらないようにと、新年に祈る。四首目。「軍閥」すなわち日本を戦争に引きずっていった、「昭和の軍閥」が解体して、日本の軍国主義が一層された。これは「ポツダム宣言」の内容で、この宣言の内容は、当時の国際世論を背景とした、国際基準だったのを示す。
こういう気持ちを当時の日本人は切実に抱いたのだ。それを「平和ボケ」などと、否定する傾向が近年強まっている。諺に「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とある。心に留めておくべき事だろう。
戦後日本はこういう思考から再出発した。これは日本が国際社会に復帰する条件でもあったのだ。
土岐善麿は石川啄木の親友としても知られる。その石川啄木が次のような作品を残しているのも忘れ難い。(韓国併合を詠った作品)
・地図の上の朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
(1908年・明治43年『創作』)
(岩波文庫『新編 啄木歌集』「補遺」)