本書は東日本大震災を主題とした詩集である。かの大震災のあと、制作された震災を主題とした文芸作品は、おそらく膨大な数にのぼるだろう。
例えば、「大震災歌集」を出版した、短歌結社もあった。個人の歌集も出版された。この状況は現代詩の分野でも同様だろう。
このような社会に題材をとった文芸作品は、ある種の困難を伴う。事実報告になってしまうからだ。
本書には、31篇の、詩が収録されている。作者、照井良平は岩手県陸前高田市の出身で、花巻詩人クラブ会長、岩手県詩人クラブ字常任委員をしていて、詩人会議の会員でもある。
収録作品には、短編詩も長編詩もある。
だが何と言っても、その表現力には驚かされる。社会に取材した文芸作品は表現力が伴わないと事実報告になる。原爆詩人として知られる、峠三吉も「ニンゲンヲカエセ」が代表作だが、その他の作品は、インパクトはあるものの、文芸作品としては、何かこう洗練されていない。
本書の作者、照井良平は表現力があり、作品は読むものを圧倒する。特に巻頭近くの「ガレキのことばで語れ」「ガレキの一撃」「ばあさんのせなか」が好い。
また「ウミネコの便り」「ウミネコの朗読会」「赤い船に乗って」などは、独特の抒情世界を形成しており、「捜す」はリフレインが絶妙の効果をあげている。
原子力災害の放射線を、第五福竜丸と比しているという独自の視点があり、一つの文明論ともなっている。「ああ 第五福竜丸よ」。
巻末に初出一覧がある。ほとんどの作品は、震災後ある程度の時間を経て発表されたものだ。時間が作品を熟成させ、当事者意識が、他人事ではない表現を生んでいるとも言える。
この詩集は、坪井繁治賞を受賞しているが、「あとがき」によれば、作者本人はいたって控えめだ。ここで引用しよう。
「時間が半年、一年と過ぎ、震災が少しづつ遠のいて行く時、元の生活に戻れない被災者にとって、心の傷が癒される前に、チリ地震の時のように忘れ去られていってしまうことが何よりも辛いことではなかろうか。・・・・櫓を漕いだ海育ちの人間として、震災詩の形で残るもの、詩集を出すことも意味のあることはないかと拙いめでもまとめてみた。お読みいただければ幸いです。」