戦争中の「斎藤茂吉の時局詠」は、斎藤茂吉全集の「石泉」「白桃」「暁紅」「寒雲」「のぼり路」「霜」「小園」に収録され、他に「短歌拾遺」の部に収録されている。「短歌拾遺」の中には、「萬軍」に収録する予定だったものもある。
斎藤茂吉は、時に「戦犯歌人」などと呼ばれることがある。終戦直後が最も顕著だった。今でも、公言して憚らない歌人がいる。
僕は、「斎藤茂吉の時局詠」は、次の三つの要素から構成されていると考える。
1、「紀元2600年の奉祝歌」のような、儀式歌。
2、文字通り、戦争を煽る歌。
3、戦中の心情を吐露した歌。
これを15年戦争の戦局の推移などを考慮して、論じてみたい。
Ⅰ、満州事変(1931年・昭和6年)
・覚悟していでたつ兵も朝なゆふなにひとつ写象を持つにはあらず「石泉」
Ⅱ、5・15事件(1932年・昭和7年)
・卑怯なるテロリズムは老人の首相の面部にピストルを打つ「石泉」
Ⅲ、2・26事件(1936年・昭和11年)
・作品は残していないが、日記に次のような記載がある。
「僕はいよいよ末世のやうな気がした。彼らは満州に行くより東京に残って罪人になってゐる方がどのくらい楽だか知れないのだ。国体擁護とは『楽したい』『死にたくない』というのと同義異語に過ぎない。」
Ⅳ、日中全面戦争(1937年・昭和12年)
・国こぞる大き力によこしまに相むかふものぞ打ちてし止まん「寒雲」
Ⅴ、日米開戦(1941年・昭和15年)
・『大東亜戦争』といふ日本語のひびき大きなるこの語感聴け「短歌拾遺」「萬軍」
最後の一首に自註がある。「これは改造社の雑誌『文藝』に載ったものである。予感はしていたものの、一億国民はをどり上がった。歌人もそれに漏れず歌も武装するに至った。」(「作歌40年」)
どうだろう。斎藤茂吉は最初から戦争を煽った訳ではない。「同じ写象を持つにはあらず」などは、決戦といった、戦争熱は感じられない。茂吉自身も「湊川合戦のような写象を持っていたのではない。」(「作歌40年」)と書き残している。
戦争が始まって、出征する兵士の心情に思いを寄せているのだ。決して煽ってはいない。
また、5・15事件や2・26事件に関しては、実行犯の青年将校に「卑怯者」と厳しく批判している。もし斎藤茂吉が根っからのファシストなら、こうは言わないだろう。
だが日中全面戦争が始まると、様子は様変わりする。明らかに戦争を煽る歌を詠んでいる。スローガン的であり、偏狭なナショナリズムと結びついている。マスコミからの依頼で作った経緯も感じられる。
斎藤茂吉は戦争を煽った。これは大きな過誤に違いない。だが戦争を計画した訳ではない。国家総動員法も、治安維持法もあった。時代の過誤、日本という国家の過誤から、斎藤茂吉も逃れ得なかったのだ。
現代に短歌作品を、創作する歌人にはその過誤を繰り返さない覚悟が必要だろう。