このブログは元々、短歌、短歌史、作品批評、歌集の紹介、日本語について考えるのが目的だった。ここにエッセイを書き始めたのには理由がある。短歌では表現できないこと、表現しにくいことがある。社会問題をテーマにした社会詠という分野があるが、なかなか難しい。新聞の見出しのようになってはいけないし、スローガンになってしまう場合もある。説明にも陥りやすい。
佐藤佐太郎は「純粋短歌」のなかで「現代の社会や思想を、短歌に盛り込めないというのは、不完全な見方である。盛り込めにくいということはあるけれど。現代の歌人は盛り込んでいる。」と書いている。
社会詠の難しさだ。短歌では表現できないこともあろうかと思う。そこでエッセイを書き始めた。「星座」の尾崎主筆からも「岩田さん、エッセイを書いてみない?」と言われたことがあった。そのときは短歌を始めたばかりで、尾崎主筆とも会ったばかり。主筆のまえではおいそれと話が出来なかった。(尾崎主筆と話せるようになったのは「星座」の選者をするようになって、「星座」の校正に参加するようになってからだ。
だからその時に、何と答えたかは覚えていない。だが短歌では表現できないことがある。だからエッセイを書くのだ。
歴史論を書くのは別に理由がある。歴史修正主義が台頭してきて久しい。これが日本社会に与えたマイナスの影響は計り知れない。ある歴史研究者がツイッターで呟いていた。
「歴史修正主義を軽く見るのではなかった。『どうせ素人集団だから』と思ったのが間違いだった。もっと最初に叩いておくべきだった。」
これを読んでから、歴史論(当初は歴史に関するコラム)を書き始めた。日本の歴史修正主義の裏には、極右組織の日本会議があり、日本の歴史修正主義は国際的にも、批判されている。
僕が政治的なのではない。政治の方からズカズカと僕の中に、踏み込んでくるのだ。
そこで先月からブログのサブタイトルを変えた。「社会と歴史を考える」という文言を加えた。