「鎌倉歌会」2019年7月。
7月5日、於)鎌倉大路ビル
この歌会の定員は20名。今回は18名の出席だった。尾崎主筆が出席できなくなって、現代詩の作品批評会のようになった。尾崎主筆の講評がなくなって、指針がなくなり「よい短歌がわからなくなってきた」という人もいるが、僕の中で短歌観は出来上がっている。ここ数年尾崎主筆から直接教わったことも心に刻んでいる。切り込み方は異なるが、僕ほど尾崎主筆の方向性に忠実なものはいないとも思う。
この矜持を心に留めて。歌会に参加した。
全体に作品の水準が高い。今流行りの短歌とは違うが、この方向性で構わないと思う。今更「よい短歌とは何か」を問うまでもなかろう。
評価の基準。
「作品に人間や社会への愛おしみがあるか」「語感はどうか」「説明になっていないか」
「言葉をこねくり回していないか」「焦点が絞られているか」「飾っていないか」
「言葉の選択に無理はないか」「作者の一人合点になっていないか」「助詞の用法」
「言葉が混戦してはいないか」「技術が伴っているか」。
この観点から言うと、擬人法は無理がある、敬語を使うのにも難がある、固有名詞に頼るのにも難がある、一首の言葉に表現されていないものを読者が読み取るのにも難がある。
ただ作者の作品に手を入れるのは最小限にする。改作はしない。これが尾崎主筆のから受け取った「選歌注意」(佐藤佐太郎筆)の要点である。
切り込み方が独自だからと言って、詩情がないのは、根本的に問題がある。「詩情とは人間や社会への思いやり、愛おしさだと僕は思っている。
尾崎主筆は「言葉に対する信頼を忘れないように」と言ったが、突き詰めれば、「言葉を使う人間への信頼」だと僕は思う。「汚らしい表現」も避けるべきだろう。