岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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現代歌人協会年次総会

2019年07月04日 00時00分35秒 | 短歌の周辺
現代歌人協会、年次総会。
         2019年6月27日 於)学士会館

 現代歌人協会。歌人の職能団体である。歌人と言ってもサラリーマンであることが多い。学校の教師、一部上場の企業のサラリーマン、大学教授、公務員。僕のように、定職についていない人は珍しい。生活の保障を受けながら作歌するのは何とも羨ましい。反面緊張感に欠けるところがあるのではないか。そんなことを考えながら総会に参加した。

 今回は理事の改選がない。そのせいか委任状が多かったように思う。

 理事長の挨拶、監査の報告、一般社団法人への移行の提案、現代短歌大賞の選考経過。様々あったが、反対意見を述べるまではいかないものの、考えるところがあった。

 大島理事長の挨拶。「何を詠むべきかを考える必要があるのではないか」。これには賛成だ。感想文、日常報告、言葉遊びでは意味がないと思う。売れるかどうかを判断基準にする。この傾向には違和感がある。画家のゴッホ。生前は全く売れなかった。しかし現代からみれば、同時代の売れっ子の画家よりはるかに評価が高い。

 篠弘監査役の発言。「協会の連続講座の若い歌人の発言が面白くない」。これは分かるような気がする。軽いノリで言葉遊びをしている歌人にはポリシーがない。これでは面白くない。「近代の歌人を振り返るという連続講座のテーマは二次的だ。」この発言はどうかと思う。若い歌人の話が面白くない、何を詠むかが問われている。これを受け止めるなら近代短歌を見直すべきだろう。正岡子規、与謝野晶子、佐佐木信綱、釈超空。この人たちにはポリシーがあった。表現方法に違いはあるが、旧派和歌に対抗して文学性を追求したこと。現代歌人協会が意識して取り組むべき問題だと思う。

 現代短歌賞の選考経過。それなりの理由付けはあったが、授賞式では、「作品自体はうまくない、下手だ、題材が野暮ったい」こういう発言が相次いだ。珍しい事だ。「下手だが売れそう、受けそう、若い人に受け入れられそう」という雰囲気が漂う。

 なんだか暗澹たる気持ちになった。短歌の文学性はどこへ行った。

 僕は売れなくともゴッホであり続けたいと思う。




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