「先日の< 斎藤茂吉を語る集い >は若手歌人もパネラーとなってすごい熱気だった。」
歌会の前に尾崎主宰・選者・スタッフとこんな話をしながら食事をして、そのあと歌会が始まった。
・歌会の方式:
作品ひとつひとつについて、参加者ひとり、選者団(僕も入れて3人)のうち2人が批評する。これを3首について行ったあと、尾崎主宰の講評を受けるという形で進められた。今回の座席は尾崎主宰、選者団、司会者と参加者が向かい合う形。毎会工夫されている。
・短歌の素材:
「夕暮の干潟の海鳥」「ドクダミの花」「志賀高原の黄菅のなかに立つ」「夏蟻をつぶす酷暑の部屋」「変身さなかの尾をもつ蛙」「ゆふぐれのミカンの白花」「津波」「リボンの栞なびかせてする読書」「熱を出して横たわった時の感覚」「らっきょうの薄皮を剥きながらのもの思い」「歩道の水たまりに感じた地球」「昼のおおこうもり?」「砂漠にいる友?」「落蝉の息あるごとき動き」「森の闇から聞こえる声?」「砂時計の上下を返す時」「8月のカレンダー」「身辺整理」。
・論点:
「上手い歌だが個性がない」「類歌はないか」「結句が付け足しのようになっている」「口語短歌の口語も日常会話で使う言葉とは異なる」「全部言い過ぎると無理が出る」「事実の報告になっていないか」「言葉を的確の使う必要」「意味が読者に伝わるか」「上の句と下の句に飛躍があり過ぎはしないか」「暗喩(・・・のごとし・のない比喩は印象が曖昧になり易い」「作者の位置がはっきりしないと何が言いたいのかわからなくなる」「言葉の重複はないか」「印象が鮮明か」「頭の中での操作が先行しているのではないか」など。
・歌会の雰囲気:
かなり厳しい事を言うがそれにめげずに。誉められるために歌会があるのではない。厳しいこともそれぞれの参加者がきちんと受け止めたようだった。尾崎主宰からは、朝鮮戦争中の佐藤佐太郎の作品と作歌態度についての話があった。「星座」の次号に掲載されるとのことだった。(昨日の記事参照)
・僕の発言:
「佐太郎の歌論を読むと、『詩には飛躍が必要だ』という記述と、『失敗作の例:飛躍』とある。いったいどちらが本当かと言いたくなったが、要は塩梅の問題。飛躍がなければ面白くないし、飛躍が大きすぎると印象がバラバラになる。」
「動物のことを詠む時、『象が人に知られていることを知っているのを何で君が知っているのかね』といわれたことがある。」
暗喩や前衛短歌の技法については、岡井隆著「私の戦後短歌史」や「角川短歌・2011年2月号」のインタビュー記事の内容を紹介した(あまり時間がなく駆け足だったが)。
・最後にベテラン会員から:
「尾崎左永子作詞の合唱組曲『蔵王』の『春』コーラスで歌っているが詩がすばらしい。50版を重ねている。」という発言があった。僕は『蔵王』のうちの『ふぶき』を歌ったことがあるので、叙景の大切さを発言、初版の楽譜が早稲田大学の演劇博物館にあることを紹介した。尾崎主筆からは「蔵王」を作詞した背景などが述べられた。