岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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どうなる日本の原発

2011年08月16日 23時59分59秒 | 政治経済論・メモ

 「人間に関する興味関心」。 これを今の僕にあてはめれば原発の問題と言える。今は多くの人が「放射能におののいて」いる。本格的に考えるのは初めてなので、様々な角度から書かれた本を何冊か読んだ。まして

 一冊だけで結論を出すのでは心もとないのでこういう選び方をした。異なる立場の著者のものを選んだのだ。

 ノンフィクション作家とルポライターの共著。社会学者と科学者の共著。原発の設計者・都市計画の専門家・金属材科学の研究者ら13人による共著。

 意見の相違もある。だがそこで分かったのはがいくつかある。これらの著書に共通していたものだ。


 第一。原子力技術は不完全な技術だということ。現実に即しても「福島原発での汚染水の除染」「放射性廃棄物の処理方法」は未確立で現場で研究開発している状態。「被爆・放射線の安全基準」はわからなというのが実態。だから暫定(とりあえずの)基準と呼ぶし、放射性廃棄物の行き場がない。地下に埋めては地下水の汚染が懸念される。深ければ深いほど汚染の危険が増すとまで言い切った著者もいた。

 第二。これらの著書が共通して言うのは、大きな発電所だけに発電をたよるのではなく、小規模の発電に分散するという主張だ。具体的には燃料電池(エネファーム)の普及、スマートグリッドによる送電、地域で必要な電気は地域で発電する。原子力発電は低コストではなく、むしろ高くつく。

 第三。国内の原発はほとんど老朽化していること。ステンレスの燃料プールが腐蝕している例もある。「一刻も早く原発を止めて、日本人が生き残るのを最優先すべき」と書く著者もいた。

 第四。「原子力ムラ」と呼ばれるように、研究者・電力会社・電気機械メーカー・一部の政治家などが、「原子力推進」という枠のなかで、「もちつもたれつ」の関係になっていること。別のルポライターは、このテーマだけで「50人」の人間の実名を挙げ一冊書いている。

(原発推進を決定づけたのは田中角栄内閣だが、いま政局を声高に言う政治家は、旧田中派出身者、原発を地元に誘致した、通産大臣・経済産業大臣・科学技術庁長官・原子力委員会委員長経験者、通産省の官僚出身者、地元選挙区が原発に依存している、宇宙の軍事利用を政策とする、かつて日本の核武装の可能性に言及した、などの議員個人の事情を抱えている。ネット検索で経歴を調べるとよく分かる。)

 第五。「原子力は安全」ということを言い続けていた研究者・専門家の実名が書かれていること。その人名を一覧表にしたが、ここ数週間マスコミに出なくなった。その中には、「 MSN 産経ニュース」に登場した研究者も含まれる。

 第六。原子力発電にたよらない社会を作るのは可能だということ。違う分野の著者たちが同じ結論を出し、具体的に提言している。これも貴重だ。


 ネット検索しても、書店の売り場や新聞広告を見てもこの種の書籍が売れている。戦前と違って、誰かの司令でこうなっているのではない。おそらく社会の一つの曲がり角に差し掛かっているのは間違いない。

 ネット検索「 MSN 産経ニュース」に「原子力のことはもうたくさん。その手の本は読まない」という「専門家」のコメントがあったが、それは逆だ。

 それとも「知らしむべからず、依らしむべし」とでも考えているのだろうか。それは余りにも前近代的発想だ。みんなで知って考え、工夫すべき時だと思うがどうだろうか。

 終戦の日の特集番組で作家の半藤一利が同じような事を言っていた。

「震災の津波に破壊された映像を見て驚いた。東京大空襲で何とか生きのびて茫然として立ちつくした焼け野原の東京と今回の震災地とがよく似ているのだ。焼け野原に立った時、よしこれからは心を入れかえて< 戦争のない日本 >を作ろうと決意したものだった。ほとんどの日本人がそう考えて、心を一つにして復興に努力した。ところが今回の震災では、そうした日本人の共有意識が希薄な感じがする。だが心をひとつにする目標はある。それはエネルギー問題だ。< より安全なエネルギーへの転換の必要性、日本人に奢りはなかったか >福島原発の惨状を見て多くの人が実感しているはずだ。ここで心をひとつにするのが、震災からの復興のにとって重要なことではないか。」

 期せずして、作家・ルポライター・社会学者・原発の研究設計に関わった研究者らの考えが一致した。誰の指示を受けたのでもない。専門分野も世代も違う人々が、それぞれがそれぞれの立場と見識を活かして同じ結論に達したのだ。これは非常に価値のあること、未来への希望の光ではないかと僕は思う。






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