・マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや・
「空には本」所収。1958年(昭和33年)刊。1954年(昭和29年)作。
寺山修司の代表歌といえば、まずこれだろう。「海に霧深し」が祖国の行くすえ或いは作者の心情の不透明感を暗示している。
そこで下の句。「自分の身をすてるほどの祖国はあるのだろうか。」この表現に戦争中の「滅私奉公」「報国」「お国のため」と強いられたものを想像するのはそう困難ではないだろう。
「自分の身を捨ててつくす」などという「祖国」などは有りはしない。「祖国とは何か」「国家とは何か」「その中での自分のありようは」。様々な自問自答が作者の脳裏に満ちていたことだろう。
今日は8月15日。終戦の日に寺山修司は満10歳だった。昨日まで「欲しがりません勝つまでは」といっていた大人、「祖国のために死ね」と教えた教師、戦争を煽った文化人が、揃いも揃って「本当は戦争に反対だった」「昨日まで教えていたことは間違っていました」という。その姿が少年寺山修司にはどう写っただろうか。想像に余りある。
そんな深層心理が深く刻印されている。「はだしのゲン」の主人公ならずともそう思った少年少女たちは少なくなかったに違いない。
そういった数々の思いが「マッチを擦る」瞬間に脳裏に満ちて来た。眼前は「視界ゼロ」の分厚い霧。そんな映画の一場面が目に浮かぶ。
後に演劇に進んで行った寺山の素養が既にここに現われている。1960年前後の人の愛唱歌となったのも頷ける。
この作品に関しては次のことに触れなければなるまい。この作品が発表されたのち、俳句界から異論があがったのだ。
・一本のマッチをすれば湖は霧・(富沢赤黄男)
・めつむれば祖国は蒼き海の上・(同)
・夜の湖ああ白い手に燐寸の火・(西東三鬼)
といった作品の盗用ではないかというのだ。しかし三つの俳句とは異なる世界を表現し得ているので、問題にならない。構成も上の句が情景、下の句が心情となっており、情景が心情を表現する「象徴」として使われている。俳句では表現し切れないものがある。
上の句と下の句の間に飛躍がある「疎句」だが、これは近代短歌にはなかった歌体である。だからこその前衛短歌なのだが、塚本邦雄や岡井隆との違いは、暗喩(「・・・のような」「・・・のごとし」を使わない比喩)を過度に使っていない点。
だから寺山修司の作品に難解歌はない。口語脈をうまく使った作品が多く、その点は石川啄木と同じ傾向と言える。
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