「星座かまくら歌会」2017年4月7日 於)生涯学習センター
「星座」が創刊されて17年目に入った。僕が作歌を始めたときの創刊だから、ここで僕は育てられてきた。「雑誌」とともに僕の歌歴がある。雑誌創刊と同時に短歌を始めた人も多かったのだが先月同様に作品がよくなっているという尾崎主筆からの講評があった。
「今回の作品は、時間の感覚を生かしたもの、目に見えるものだけでなく心理的に掘り下げた作品が多かった。」
目に見えるものを表現するのはそう簡単ではない。情景を見ていない人に景がたつように表現するのは意外と難しい。それを会員が一つ乗り越えたということだ。しかし論点はいくつかあった。
「意味がストレートにとれない」「一人合点の作品になっている」「心余って言葉足らず、自分が読者となって読み返せ」「事実を述べただけでは感想文になる」「誰にも受け入れられる作品となっているか」「俗になっていないか」「歌に勢いはあるか」「作品が途中で切れて声調が乱れていないか」「時制の現在と過去が混乱していないか」「内容が淡くないか(淡いとは常識的な物言いでインパクトに欠けるということ)」「技巧に走ってはいないか」「漢語が固いか、一首になじんでいるか」
毎回同じようなことが指摘されるが、堂々巡りではなく徐々に進展しているようだ。それは雑誌の選歌をしていても感じる。「作品は心理を通して描け、短歌は小さな詩形だが夢幻の可能性を持つ。」
この言葉を最後に刻み込んだ。歌会のあとの談話会。ここでは古典文学の話になった。短歌は1700年の歴史を持つ詩形だ。古典の教養が不可欠だ。この場でいくつか参考文献を紹介されたので僕も呼んでみたいと思う。