軍国主義がそこまで迫っている。任務遂行型で武器の使用が認められた、集団的自営権の行使容認、戦争法。表現の自由、思想信条の自由を脅かす共謀罪。これらは容認できない。
戦争など起こるはずがないという人がいる。果たしてそうか。自衛隊が派遣されている南スーダンは戦闘状態だ。そこに武器の使用を許された自衛隊が展開している。兵器の生産で利益を上げている企業がある。軍需の恩恵を受けている人々がいる。経団連の幹部からは「そろそろ戦争でも起きてくれないか。景気が悪くて仕方がない」という発言が飛び出す。
戦争になれば言論が統制される。表現の自由が脅かされる。これは表現者としては見逃せない。戦争には反対だ。戦争につながる一切のことに反対する。すでに書いたように「日本国憲法第九条が最善の安全保障だ。「敵を作らない」最善の方針だ。
その戦争の準備が着々と始まっている。教育の現場でだ。
軍国主義思想を刷り込む教育勅語を学校の教材として使用しても構わないという方針を文部科学省が決定した。教育勅語によって軍国主義思想を植えつけ、治安維持法で思想統制して戦前の全体主義の体制が作られた。その教育勅語が学校教育のなかで復活させられそうだ。
また、道徳が教科化され一定の価値観が国家から強制される準備が整った。道徳は国家から強制されるものではない。国語の文学教材など各教科で、人間の尊厳が教えられるべきなのだ。更に社会科の人権教育で人間が相互に尊重しあうのを教えるのも必要だ。道徳の教科化は間違っている。
さらに体育の武道に「銃剣道」が加わるという。柔道、剣道は日本古来の武道だ。競技人口も多い。もはやスポーツになっている。だが「銃剣道」は違う。競技人口が多いといってもほとんど全員が現役の自衛官だ。自衛隊では軍事訓練の重要な一環として「銃剣訓練」が行われている。戦前の銃剣道は学校で配属将校が指導した。軍事教練と一体だった。なによりスポーツではない。軍事訓練だ。
軍国主義の準備が着々と進む。これには反対の声をあげ続けようと思う。
「怖い」を連発してはいられない。「獄死は犬死」とも言っていられない。歴史の分岐点だ。今生きている人間が後世の歴史への責任をはたさなければならない。
切実にそう思う。