「星座α」第3回定例歌会(5月15日)。鎌倉浄妙寺ガーデンテラス2階で行われた。
・参加者20名余。2作品についてそれぞれ参加者・選者が批評し、2首まとめて尾崎左永子主宰がコメントするという形式で行われた。「自分の作品の批評だけが気になって、あとの話は素通りしてしまう場合もある。隣の作品と比べることによって、全作品へ気配りするきっかけにもなるだろう。」こういう形式の歌会ははじめてなので興味深かった。
1・作品の素材:「震災による停電」「地震・津波・瓦礫と化した街」「心のわだかまり」「放射能を含む塵」「ビル窓に薄れゆく夕光と自分の夢」「夫との気持ちのすれ違い」「忘れ得ぬ言葉を満員電車のなかで思い出す」「春の疾風(はやち)にたじろぎながら駅で髪を整える」「静かに戻った海と被災地の苦しみ」
・「青空のもとの木々のそよぎ」「降る雨にけぶる山桜」「飛び立つゆりかもめと川面の光」「停電に連想した死後の世界」「震災にもかかわらず咲く春蘭」「つば広き帽子に一瞬さえぎられる視界」「橡の木の花」「定家蔓(ていかかずら)とオゾン層」「十余年育ててきたシクラメンの花」「瓦礫の原に動くショベルカー」「5月の蜻蛉と水に浮く花びら」。
2・論点:「文語・外来語とバランスを欠いていないか」「震災を詠んだ歌は映像の引きうつしになり易い。自分でしか詠めない歌を詠もう」「終止形をはっきり置く」「余韻が欲しい」「自分の感じ方が他人の共感を得られるかどうか考える」
・「暗喩の難しさ」「映像短歌は弱い」「見方が丁寧過ぎるとくどくなるが、ものを見るのが写実の基本」「「自分でしか詠めない作品を目指そう」など。
3・僕は3人の選者のひとりとして批評する側にまわったが、それでもその場で学ぶことは多い。特に、第1回の歌会より30分長かったことは、じっくりものを考える余裕をもたらしてくれた。「映像短歌」の弱さは、関東大震災の伝聞に基づく作品が、岩波文庫「斎藤茂吉歌集」に収録されていないことからもわかろう。
4・短歌の基礎知識:真剣にものを考えること、ものを見ること、自己凝視をすること、そして修練と考えることなど。これらは、つまり作歌の姿勢が問われることである。「よくできました。はいはい。という態度はあいてを子供扱いそるものだ。」とは尾崎主筆の言葉。初心者といえども真剣に取り組むことが求められると僕は受け取った。
5・3人の選者のひとりとして総評を求められたので、僕はこういった。
「今回は大震災関係の作品が7首もあったが、震災はあまりに悲惨だったので詠めなかった。どうしても他人事になってしまう。だから< 心のわだかまり >として詠んだ。それでもどうしても詠みたいひとは、4月上旬の< 朝日歌壇 >を読むといいと思う。被災者の悲痛な叫びのようなものが感じとれると思う。作者に心の余裕はないが、それだけに切実なものがある。」
「歌会に出たら、一つでいいから< これだ >というものを持ち帰る。その積み重ねが大切だと思う。」
6・次回は7月。歌会は選者にも修練の場であるとつくづく感じた。
なお「自分でしか詠めない短歌作品」、独自性・個性については斎藤茂吉が次のようなことを書き残している。
「(夏目漱石・森鴎外について)当時の文壇の自然派(=自然主義:註・岩田)に対しては、二人とも孤独派だが、銘々おのずから信ずるところがあるからして、自分に執するのが当たり前である。二人ともこの執着がなかったらてんでつまらない。」(「鷗外・漱石について寸言」)・・・岩波文庫「斎藤茂吉随筆集」323ページ。
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248-0003
神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-50(浄妙寺境内)
石窯ガーデンテラス内