「かまくら歌会」2019年10月4日 於)大路ビル
ここの歌会は研究会の様相を帯びてきた。忌憚なく発言する。僕の短歌観は定まっている。それを遠慮なく作品批評に用いる。「星座」の尾崎主筆から教えられたことが多い。まだ短歌を本格的に始める前「NHK歌壇」の時代からのもの
「短歌は現代の定型詩である」。これが基本だが、「詩」とは何かは詩人との交流から学び、「文学」とは何かは「日本近代文学館」の「夏の文学教室」で学んだ。
「人間や社会を深く掘り下げる」(彫りさげる、と僕は表記にこだわる。立体的に彫刻を刻んでゆく感覚。)のが本分であり、機知だけのもの文学はいいがたい。これは確信に近い。
そこで僕の批評の観点。
「オノマトペは甘い」「言葉の用法は的確に」「体験にそくして想像で歌は詠まない」
「耳で聞いてわかる表現を」「古風な言葉をことさら使わない」。
尾崎主筆がいつどういったかは、鮮明に覚えている。「NHK歌壇の時代」「運河の会の時代」「星座の歌会での場」「星座αの歌会での場」。よく覚えていますね、と言われるが、発言を丸暗記するのではなく、一つ一つを心から納得したのだ。だから覚えている。自分の作品を創作するときの基準にもなっている。
技術的なテクニックではなく表現技法として体得してきた。
佐藤佐太郎が言った「短歌は技術である」の言葉の意味も「テクニック」ではなく「表現技法」の意味だろう。「技巧的に過ぎる」「巧い歌はいらない、良い歌が必要」という尾崎主筆の言葉がそれを示している。
これらの蓄積はいずれ発表の機会があるだろう。