緊急シンポジウム「時代の危機と向き合う短歌」
2015年12月6日 於)早稲田大学大隈大講堂
この緊急シンポジウムは「強権に確執を醸す歌人の会」の主宰だ。代表は三枝昂之。戦争法の反対運動が高まり、立憲主義、民主主義、平和主義を取り戻す闘いが広がっているだけに見逃せないと思って参加した。主催者からのダイレクトメールも届いた。
シンポジウムは永田和宏の講演から参加した。表題は「危うい時代の危うい言葉」だった。永田の話は安倍政権の動き、安倍政権のこれから、これまでの政治闘争との違い、永田自身の言動、言論統制の4つのステップ、歌人として「時代に向き合う」とはどういうことか。これが話の流れだった。
だが話の端々に違和感を感じた。
第一。永田は「民主主義の根幹は言葉」と言う。だが表現の自由が民主主義の根幹ではあるが言葉そのものではない。言葉の問題に限定しているから、話しの内容が抽象的で観念的なのだ。だから永田は話しの最中に「こわい」を連発した。「国益と言われると反論できずに怖い」「国民が戦争動員で団結すると怖い」「今までの言動を根拠に逮捕されるのが恐い」「当局ににらまれて獄死したくはない。犬死だから」何と臆病なのかと思った。
シールズ、ママの会、ミドルズ、ママデモ、学者の会、日弁連、憲法学者。政治闘争の素人が闘っている最中に、学者の会の呼びかけ人の永田が何を恐れているのか。しかももう明文改憲が目前だとばかりの話。NHK学園の講師から降ろさるのがこわいのか、「NHK短歌」や新聞歌壇の選者から降ろされるのがこわいのか。考えて見ると歌人の地位を失うのがこわいらしい。
だが闘わないから怖いのだ。2015年安保と呼ばれる戦争法廃案の運動で敗北感を感じている人はほとんどいない。
第二。永田は政治闘争と創作活動をどう一致させるかという。一致しないのは永田の思想性、肝がすわっていないからだ。人間への愛おしみが希薄だからだ。勤労者の立場に立て。平和擁護の立場に立て。憲法擁護の立場に立て。今の地位に拘るな。怖さは吹っ飛ぶだろう。
このシンポジウムは三枝昂之が呼びかけた。秋葉四郎も来ていた。だが三枝昂之の『昭和短歌の精神史』は戦中の歌人の戦争責任を不問に付し、秋葉四郎の『幻の歌集「萬軍」』は斎藤茂吉の戦争責任を不問に付した。歌壇の歴史修正主義といっていい。こういう歴史観が今日の状況を作ったのではないか。
歌壇の戦後は終っていない。あらためてそう思う。これは拙著『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』で指摘し、三枝、秋葉の著書への批判も書いた。歌壇はそれをほとんど無視し、三枝、秋葉の著作を高く評価した。世の中の歴史修正主義に同調したのだ。
この歴史認識を改め、思想性のない短歌作品をもてはやすのをやめない限り、永田の様な歌人の出現はあとを絶たないだろう。
この試練を乗り越えたとき歌壇の未来がみえるだろう。