「星座」かまくら歌会 2015年12月4日 於)鎌倉彫会館
この歌会は尾崎左永子主筆が講評するのが魅力だ。尾崎氏は「短歌は定型の現代詩」と言う。放送作家としてラジオの放送詩を書いたこともあり、詩歌への造詣が深い。それは尾崎首筆の批評が現代詩の詩人の批評としばしば共通することで分かる。
短歌の流儀、短歌の世界の「常識」だけで批評はしない。「アララギ風」の写生、写実の立場だけからも批評しない。
この日の出詠者は15人。出詠歌15首。それぞれ独自性のある作品だった。批評の基準は普段と変わらない。
「結論を言ってしまって説明的ではないか」「言葉の使い方に無理があるのではないか」「日記的、感想文的ではないか」「比喩が効いているか」「耳から聞いて読者に伝わるか」「読者の共感を得られるか」「本心で表現しているか」「視覚触覚と分散していないか」
「旅の歌は焦点が絞りにくくて難しい」「最初のフレーズで印象が決定するので要注意」
「作者の発見があるか」「冒険はいいが冒険のし過ぎではないか」。
これにはそれぞれ根拠がある。説明感想文と詩歌を分かつものは抒情が感性で捉えられているかどうか。冒険のし過ぎとは言語感覚がバランスを欠いているから。旅の歌が難しいのは見るもの聞くものが珍しいからだ。
つまり読者の視点に立って、作品を声に出して推敲せよというのに尽きる。これが毎回言われるのだがなかなか難しい。
僕は「星座α」の歌会の予告通り、相聞の一首を出詠した。相聞は難しい。表現が甘くなりがちで、思いが強いだけ失敗しやすい。肉感的になり過ぎる場合もある。どんな批評がかえって来るかとおもったら「すてきね。」の一言だった。
この歌会で相聞は初めての出詠で相聞と詠めなかった出席者もいたが、嫌味なく伝わったようだ。これが50首になった。これを「詩人の聲」で音読しながら完成させていきたい。