岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

書評:詩集『女坂まで』 長谷川忍著(土曜美術出版販売刊)

2016年01月13日 08時14分33秒 | 書評(文学)
書評:詩集『女坂まで』長谷川忍著 (土曜美術出版販売刊)

 この詩集は作者の第三詩集である。タイトルの「女坂」は集中の作品に登場する地名だ。詩集は二部構成。一部に11篇、二部に12編の作品が収録されている。詩集の主題は巻頭の「乾き」という作品のなかで表現されている。帯文にある一節を紹介しよう。


 「初めに言葉が、いや・・・水があった。睦み会い、憎み会い、許し会ってきた日々。いつも川は思い出のように傍らを流れていた。」


 男女の愛憎の物語を思わせる。乾きとは何よりも、作者の満たされぬ心であろうか。一部はそれを暗示する作品が並ぶ。二部は物語の舞台である下町あるいは京浜地方を感じさせる街を描写した作品が多い。この構成がある種のノスタルジーを感じさせる。一部と二部とが結びつくことで全体が叙事詩の色彩を帯びる。

 だが作品の内容が事実かどうかはわからない。この詩集は確かに抒情詩の一巻である。そこに人間の愛憎、とりわけ男女の愛情のありかたへの問いがある。これは作者自身の問いでもあろう。


 長谷川は「詩人の聲」で二部にあるような下町、京浜地帯の労働者街を作品化してきた。それは或る時は通俗的のもになっていた。固有名詞が入ることで普遍性のない物にもなっていた。

 しかし、固有名詞特に地名の多用を解消したことで情感が鮮明となった。


 作者の「聲」は度々聞いた。それはこの詩集に収録されている作品の制作過程とほぼ合致する。それだけにこの詩集は想い出深い。


 これは人間の愛のありかたを問う孤独な男の物語である。




最新の画像もっと見る