寺田寅彦。明治時代の科学者だが随筆家としても知られる。斎藤茂吉より4歳年上で、斎藤茂吉より28年前に戦後社会を知らずにこの世を去った
寺田寅彦の随筆は、論説文に近い。
「世間には科学者に一種の美的享楽がある事を知らぬ人が多いようである。しかし科学者には科学者以外の味わう事のできぬような美的生活がある事は事実である。・・・また一方において芸術家は、科学者に必要なと同程度、もしくはそれ以上の観察力や分析的の頭脳をもっていなければなるまいと思う。」(「科学者と芸術家」)・・・岩波文庫「寺田寅彦随筆集・第一巻」87ページ~88ページ。
最近のニュース。福島第一原発の事故は収束のめどがついていないが、次の様なやり取りがあったことがここ数日明らかとなってきた。
首相がヘリコプターで福島原発をはじめて視察したときのこと。首相と原子力安全委員会委員長の機内での会話。
委員長:「燃料棒が損障すれば、水と反応して水素が発生します。」
首相 :「水素が爆発する可能性はないのか。」
委員長:「それはあり得ません。格納容器のなかは窒素で満たされているからです。」
この原発災害については次のような発言もある。
「もうだめです原発から撤退させてください。」
「冗談じゃない。原発を放置するつもりか。60歳以上の者は全員のこって作業を継続しろ。」
「3・11以降のことがなしになるのなら、私は全てのものを失ってもいい。そう思います。」
「水素爆発を予想した人は、そう多くないと思います。」
「メルトダウンになるとおしまいだから、それは何とか防ごうと思いました。」
「ベントは最終手段だから、ベントを世界で初めて実行すると聞いたとき、もうこの会社はおしまいだと思いました。」
「(作業員へ向かって)みなさん。御苦労さまでした。ここから退避したい方がいらっしゃれば、私はそれを引きとめません。」
何だかパニック映画のセリフのような会話が飛び交っている。
そこで人事の問題。水素爆発を予想しなくても危惧をいだいた人はいた。以上の会話で唯一丁寧語を使わなかった人間。つまり首相である。撤退を認めなかったのも首相だ。理系出身だけに敏感だったのだと思う。
この状況下に「政局」に持ち込んだ人たちがいる。だが優先すべきは、原子力災害の一刻もはやい収束だ。少なくとも原子炉から放射性物質が出なくなるまで、責任者を替えるべきではないと思う。
もし替えれば、替わった人に事情を最初から整理して説明しなければならない。そんな時間的余裕はない。
司法試験に合格した「秀才」に替わっても事態が収束するとは思えないし、理系出身の首相ほど科学的な敏感さがあるとは思えない。「決死隊を原発に80人ほど送りこんで、原発を早期に収束させるべきだ。」と無責任なことを言って、今度の「政局」の目のひとつとなった人など論外だと思うのだが。「メド」は当分つきそうもない。
最新のニュースが飛び込んできた。「事故調査・検証委員会」が発足したという。
「いかなる利害関係にも無関係な第三者委員会」だそうだ。
そういえば、「政局」を口にする政治家は、過去の原子力政策に関わった人か、関わった人の子や孫である。そう考えるのは、あまりにも穿った見方だろうか。だが、浜岡原発の停止要請があってから、政策がばらばらなのに「政局」が声高に叫ばれ始めたような気がするのだが。
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