・戦にやぶれしあとの国を来てわれの心は驕りがたしも・
「遠遊」所収。1922年(大正11年)作。
1921年(大正10年)から、斎藤茂吉はオーストリア・ドイツ・へ留学。医学博士の学位を受けて、1924年(大正13年)12月に帰国の途についた。
斎藤茂吉はこの間に作歌に打ち込むこともなく、のちに手帳・覚書をもとに第四歌集「遠遊」を出版した。第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)のことである。この時間差には様々な意味がありそうなのは、すでに別の記事に書いた。( <カテゴリー「短歌史の考察・茂吉の戦後 >)
しかしここで僕が注目するのは、第一次世界大戦の敗戦国ドイツの地に立って、戦勝国の人間である茂吉が「驕りがたし」(おごりがたし)と詠んでいる点にある。
当時のドイツは第一次大戦の多額の賠償金のために経済危機に陥っていた。それが、ナチス台頭の遠因ともなるのだが、それを目の当たりにして茂吉は心を痛めているのである。
ただし、太平洋戦争後の出版であったこと、戦争中の茂吉の言動が批判にさらされていたこと、歌集の「後記」の歯切れがわるいことなどを考えると、斎藤茂吉のある種の「いい訳」・アララギ再建のための思惑など、うがった見方も出来る。
しかし、ここでは作品を表現された通りに読むこととしようと思う。「みちのくの農の子」(西郷信綱「斎藤茂吉」)であった茂吉が海外に滞在し歌を詠んだ。当然「遠遊」の作品にはカタカナ語が多い。これはひとつの進展であろうし、帰国後は不用意なカタカナ語はなくなる。また、海外滞在中に、実父の死去・病院の焼失などもあり、そういった悲しみもにじむ。
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