「太宰治VS津島修治」:特別展:於)鎌倉文学館
高校時代から不思議だったのは、太宰治の「熱狂的な読者」がいるかと思うと、逆に「冷め目で見ている読者」の両極の学生たちがいたことだった。
どちらかというと、僕の通っていた「神奈川県立多摩高等学校」では、「冷めた目で見る学生」が多かった。
今回の「太宰治VS津島修治」:特別展には、そんな疑問を持ちながら行った。
結論から言うと、太宰治は「無頼派」の名の通り、ある種「自分勝手」だった。
二度にわたる、「心中事件」がまずその第一。この問題が原因となって、生家から「勘当」もされている。その生家との和解が「津軽」の主題となった。
第二に、戦前の左翼運動に「首をつっこんで」いたにもかかわらず、「転向」(それも活動家の名前を警察や検察に自白したために、かつての『同志』が多く摘発されている。)
第三。太宰治の生家は、地方の新興地主で、結局は「お坊ちゃん」だった。その生家は、終戦とともに、没落していった。これが、「斜陽」の主題だった。
第四。太宰治は「芥川賞」が、「喉から手の出るほど」欲しかった。そのために選考委員の川端康成(選考の過程で太宰の作品を酷評した)に喰ってかかる一方、その次の「芥川賞」では「私を見捨てないでください」と、川端康成に懇願する手紙を送っている。つまり、太宰は「いっぱしの文士」になりたかったのだ。それが原因で「独特のある種のいやらしさ」が作品に出ている。
こういう生活は、「普通の人間」には出来ない。「熱狂的な読者」は、そこに魅かれ、「冷めた目で見る読者」は、そこに「いやみ」を感じる。
「熱狂的な読者」がいる一方で、「冷めた目で見る」読者がいるのは、これが原因だろう。
こうして「ある種の毒を持った」太宰は最後は自殺する。こういう心理状態れが「人間失格」の主題となっている。
「特別展」のテーマにもなっていたが、太宰治の作品群は、本名「津島修治」という、一人の人間のかいた、自叙伝、自画像のようなものかも知れない。
こういう「無頼な生き方」に「憧れる人」、「臭みを感じる人」、それぞれだろうが、川端康成は「臭み」を感じたのだろう。こういう事を知って置けば、「太宰作品」を読む時の感触も多少は違ってくるに違いない。