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書評:『寵歌變』塚本邦雄歌集 短歌新聞社刊

2014年12月31日 23時59分58秒 | 書評(文学)
書評『寵歌變』塚本邦雄歌集 短歌新聞社刊


 塚本邦雄は前衛短歌を牽引した。1951年刊行の『水葬物語』が、前衛短歌の始点とされる。岡井隆歌集の記事でも書いたが、前衛短歌には幾つかの特徴がある。

 『短歌』で連載されていた「前衛短歌とは何だったか」を参考に、まとめておく。


1,195Ⅰ年の『水葬物語』から、1970年ごろまで続いた文学運動だ。

2、表現の特徴は「暗喩の多用」「虚構の採用」「モダニズムへの傾斜」。

3、短歌の内容 「伝統への反逆」「権威への反発」「社会への関心と異議申し立て」。

 塚本のこの歌集は、第一歌集から、第二十四歌集。それと一部重複しながら出版された、小冊子などの作品集。この中より作者本人の自選と、塚本菁史の選んだ作品が収録されている。いわば塚本邦雄の、アンソロジーと言えるだろう。

 構成は、歌集単位を基本としている。だがすべての歌集を同列には扱っていない。歌集により、収録された作品の数が違う。自選だから作者の自己評価がわかる。集録された作品の数が多いのは、『水葬物語』『装飾樂句』『日本人霊歌』『緑色研究』『感幻樂』の五つの歌集だ。

1、『透明文法』(第一歌集以前の作品集で、習作期のものが収録されている。)

・シャヴァンヌの「愛国」の絵にありし罅(ひび)つかれしときの心にうかぶ

2、『水葬物語』(第一歌集、1951年刊)

・革命家作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

・聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫

・戦争のたびに砂鐵をしたたらす暗き乳房のために祈るも(原文は旧字体)

 占領下で、朝鮮戦争もあった。革命運動の高揚もあった。こういう社会的事件を、メタファーによって表現している。塚本にとっては革命運動さへも、権威の一つだった。(この時期の日本の革命運動に、スターリンの権威の裏付けがあったのは、今では異論をはさむ余地はない。)

3、『装飾樂句』(第二歌集、1956年刊)

・五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤独もちてへだたる

・長子偏愛されをりて暑き庭園の地(つち)ふかく根の溶けゆくダリア

・われの戦後の伴侶の一つ陰険に内部にしづくする洋傘(かうもり)も

・イエスは三十四にて果てにき乾葡萄噛みつつ苦くおもふその年齢(とし)

 吉田内閣の末期、内政も外交も、多難続きだった。そういう世上を、暗示を駆使して、批判的な目で見ている。一首目で分かるように、労働運動をも、距離を置いて見ている。(「五月祭」とはメーデーを表わす。)

4、『日本人霊歌』(第三歌集、1958年刊)

・日本を脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも

・死海付近に空地は無きや 白昼の周旋屋に目(まなこ)つむりて

・突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼(まなこ)

 この時期は、日本の国連加盟があり、スエズ動乱があり、1958年には、ハンガリー動乱もあった。塚本は広島の原爆投下を呉で見ていたが、その塚本にとって、日本や世界の動きは、心穏やかならぬことだったろう。ここでも暗示が存分に使われている。

5、『緑色研究』(第五歌集、1965年刊)

・雉食えばましてしのばゆ再た(また)娶りあかあかと冬も半裸のピカソ

 山上憶良の本歌取り。ピカソが象徴するもの、(ヨーロッパ文明と僕には感じられるが)それに対する、鋭い視線が感じられる。この時期は60年安保、三井三池争議のあと、高度成長が始まって生活が激変した。そういう世上に対する、冷えた目が感じられる。

6、『感幻樂』(第六歌集、1969年刊)

・馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ

 ベトナム戦争が激しさを増した時期にあたる。これを意識した作品とも言えよう。塚本は「短歌は幻想である。」と言ったが、作者の幻想には実体験が投影される。下の句の幻想は戦争を意識してのものだろう。

 この書評を書くにあたり、印象鮮明な作品に印をつけていった。印はこの辺で終わっている。図らずも、塚本の前衛短歌は、ここで終わりを告げたのだろう。塚本自身は「1970年以降は、自己模倣だった。」と述べているが、これよりあとの作品は、何か無理をしている感じが強くなる。

 塚本自身が、各種新人賞の選考委員を務めるなど、自身が権威となったことと、無関係ではないだろう。ここまで来て考えた。『短歌』誌上の「前衛短歌は何だったのか」の企画は未完だ。「前衛短歌は何故終わったか」の視点が抜けている。




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