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書評『佐藤佐太郎秀歌私見』 尾崎左永子著 角川学芸出版 刊

2014年11月13日 23時59分59秒 | 書評(文学)
『佐藤佐太郎秀歌私見』尾崎左永子著 角川学芸出版 刊


 「短歌は抒情詩である。」「短歌とは技術である。」と佐藤佐太郎は、断言した。著者の尾崎左永子は佐藤佐太郎の初期の弟子にあたる。

 佐藤佐太郎関係の書籍は多い。佐太郎の弟子が書き、国文学者の今西幹一の研究書もある。だが本書には、他にない特色がある。その一つは、佐太郎の初期の段階に的を絞っていることだ。

 佐藤佐太郎の短歌観、作品の特色、佐太郎の技法、作家としての佐太郎の覚悟が、実作者の視点で、具体的に叙述されている。

 佐藤佐太郎の第五歌集『帰潮』の作品を辿りながら、それらが述べられる。さらにそれ以前の『歩道』『しろたえ』『立房』に立ち帰って、佐太郎短歌の成立過程が、述べられる。しかも伝聞ではなく著者が佐太郎のごく近くに居て、直接見聞きしたことも書かれているので、内容が実感をともなう。


 著者の言葉を借りれば、「佐太郎の詩精神、技術、覚悟」を、次の世代に伝えたい。という熱意にあふれる著作だ。

 佐太郎の『帰潮』は、「純粋短歌確立期」と言われる。その『帰潮』と、それに先行する作品群を通して、佐太郎短歌の特色、短歌に対する態度が明らかにされる。

 佐太郎関係の書籍の中で、非常に独特な視点から、書かれた書籍だ。

 それは著者、尾崎左永子の問題意識によるものだろう。それを示す、印象的な一文を抜粋する。

「一般に短歌界の現状を見ると、それぞれの結社系統の技法が甘く緩やかになり、自由と言えば自由、放縦と言えば放縦、正統と言えるものがほとんど失われてきている。百家争鳴の時期も、短歌の永い歴史の中では必要な時ではあるとは思うが、だからといって、目指す指標が失われ、自己流のツイッター的表現が大勢を占めることは、黙視できるものではあるまい。こうした時こそ、もう一度先人の知恵をしっかり見直すべきでは、なかろうか。」(P196)

 これは、「軽い表現、未熟な表現」、がもてはやされている歌壇への提言の書であるとも言えよう。なおこの書籍は「星座」「星座α」に連載されたものを、元にしているが、叙述の変更箇所も少なくない。「星座」「星座α」で、読んだ読者にも、お勧めしたい。僕も大いに、触発されるところがあった。

 「なんでもあり」の歌壇の現状に、警鐘を鳴らす一冊。一読の価値がある。また、第三部の佐藤佐太郎百首は、鑑賞の手助けとなろう。

 ただ僕の希望を言えば、佐太郎の『帰潮』の後半の作品が、象徴派詩人の作品と同様の、透明感のある感動を呼ぶ事、佐太郎が、浪漫主義、リアリズムなどの、当時の現代詩に多くを学んでいたのを、書いて欲しかった。

 現代詩の生の作品に学ぶということが、今の歌壇に欠けていると思われるからだ。

 なお佐太郎と著者の言う「技術」とは、テクニックではなく、スキル・ストレングスに近い意味を持っている。テクニックは技巧であり、スキルあるいはストレングスには、実力や力という意味がある。また著者の言う「結社系統の技法」とは、リアリズム、モダニズム、生活派、社会派など、明確な文学思潮に裏付けられた作品の創作法を示すものだろう。日ごろの著者の言動から考えて、単なる「師匠追随」ではなかろう。

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