岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「運河東京歌会 2016年3月

2016年04月05日 15時14分23秒 | 歌会の記録(かまくら歌会・星座・星座α・運河)
「運河の会 東京歌会」3月13日早稲田奉仕園セミナーハウス   


 「運河東京歌会」は首都東京の「運河の会」の歌会だ。それだけに重要な歌会だ。今回の歌会には各自が自信作を持ち寄った。作品が充実していた。

 語感の悪いもの、詩的抒情を出し切れていないもの、詩的抒情に相応しくない言葉、詩的抒情を印象づける言葉が、佐瀬本雄代表から指摘されていた。僕もおおむね賛成だった。


 また佐瀬本雄代表の口から「写生」「リアリズム」「自然主義」のちがい、「本音で詠えばよいということではない」と言われたのもその通りだと思う。


 本音で詠んでも愚痴は愚痴。自分を顧みることと愚痴を言うのは違う。本音であっても「他人への憎悪むき出し」では芸術にならない。


 「運河の会」は斎藤茂吉と佐藤佐太郎に学んでいる。「佐太郎の短歌の進展を図る」ために「運河の会」を作ったとも今西幹一氏(元二松学舎大学学長)からも葉書で教えられた。


 佐藤佐太郎の『黄月』という死後に出版された歌集には「怨念を吐露した作品」がある。佐太郎自身の選ではない。


 「このうちの何首かは文芸的価値に劣る。本音で詠んでも秀歌とは言えない。佐太郎存命ならこういう作品は歌集に収録しなかっただろう。」


 この言葉を心に刻んだ。「美しくなければ芸術ではない」というのはプロレタリア短歌の旗手、坪野哲久の残した言葉。ぼくもそう思う。


 ぼくは闘病詠50首のうちの作品を出詠した。おおむね好評だったが、一段作品の完成度を高めるアドバイスを貰った。自分の作品を客観的に検討する。ここに歌会に出詠する意味がある。作品を褒められるために歌会に出席するものではない。また添削に期待して出詠するのでもないと思う。


 我が家のパソコンの前に佐藤佐太郎の「選歌注意」という紙が貼ってある。「添削は最小限にすること」「大幅な改作はしないこと」との旨が書いてある。これも普段から心に刻んでいることだ。




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「運河の会:かながわサロン... | トップ | 天童大人プロデュース「詩人... »
最新の画像もっと見る

歌会の記録(かまくら歌会・星座・星座α・運河)」カテゴリの最新記事