岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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「エネルギーシフト:原発からの脱却の道」

2015年06月05日 23時59分59秒 | 政治経済論・メモ
身近な所に、3人の人がいる。一人は、放射性物質を避けて九州、沖縄まで「避難」した人。もう一人は、故郷の福島へ帰った人。そしてもう一人は、放射性物質を含む「震災の瓦礫の焼却」に反対する人である。

 ここでは、三人の内、誰が正しいかは問題にしない。何故なら三人とも被害者だからだ。

 原発による被害、放射性物質、震災の瓦礫、これらの原因は、全て「福島第一原子力発電所」の事故にある。原発さえなければ3人の人の行動は有り得なかった。

 20世紀に、「原子力は夢のエネルギー」と呼ばれた。事実、学校教育の現場、少年少女向きの書籍、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、マンガに至るまで「原子力が未来のエネルギー」であると広く宣伝されていた。(例えば、鉄腕アトム、サイボーグ009も原子力エネルギーで動く)

 アメリカの「スリーマイル島原発の事故」、旧ソ連の「チェノブイリ原発の事故」のあとも状況は変わらなかった。「原子力の技術は発展過程だから、全てはこれからだ」と言われてきた。僕もそう思って来た。

 だが、「福島第一原発の事故」を通して、僕の意見は、大転換した。つまり「原子力はダメなのだ」。

 いくつかの根拠を挙げよう。

1、放射性物質の処理が出来ないという事。

福島第一原発の事故で、明らかになったのは、このことだった。以前から、市民団体、一部の専門家が「原発は『トイレのないマンション』」という比喩を使っていたが、その意味がよく分かった。青森県に「最終処分場」が予定されている。

 処分方法は、放射性廃棄物を、硝子に封じ込め、ドラム缶にコンクリート詰めをして、地下深くに「保管する」のである。しかし「放射性物質」の半減期まで、長い時間安全に保管できるという保証はどこにもない。地下水の汚染、硝子の劣化、コンクリートの劣化、ドラム缶の金属の腐食。どれ一つとっても、100パーセント「安全性」はない。

 そもそも、ものごとに100パーセントの安全性というものはないのだ。

2、他の工業技術との決定的な違い。

 ほかの工業製品や技術でも100パーセントの安全はない。どんなに精密な設計をしても「絶対」ということは有り得ない。自動車の「リコール」、航空機の運航禁止(ボーイング787)などをみても明らかだ。だがそれらとの決定的な違いは「事故の深刻さ」だ。

 自動車はリコールで済むが、原発はそうはいかない。一旦事故が起こったら、深刻な、そして戻れない影響が起こる。

 ツイッターなどでは、福島周辺に「甲状腺がん」のリスクが高まっている、「瓦礫焼却の周辺では放射線量が高まっている」などのツイートが多く見られる。

 「モニタリングポスト」では異常な放射線量は観測されない。という発表もあるが、それは鵜呑みには出来ない。何故なら、「福島第一原発の事故」でも、西山審議官から同様の言葉が発せられたが、それが事実とは大きく異なっていたからだ。



3、日本の特殊性。

 これだけの「地震国」で、「どこに活断層があるか分からない」と言う日本で、「安全な原発立地」というものはありえない。


4、ではエネルギーをどうするか。

 「原発が無ければ、日本の経済の回復はない」とよく言われる。果たしてそうか。「風力発電」「燃料電池」「地熱発電」などの自然エネルギーを総動員して、それにまい進するべきではないか。新しい技術の開発。これが強力な「経済成長戦略」にもなり得る。これを「エネルギーシフト」と言う。中でも燃料電池は、すでに実用化されている。

 電力会社は様々な「脅し」をかけていた。曰く、「原発が止まったら、即座に日本の電力は不足する」「原子力発電がなければ、計画停電となる」。さまざまあったが、何とか回避出来ている。何よりも「人間の命を危険に晒してまでの経済成長」はそもそも有り得ないのだ。


5、原発ゼロに必要なもの。

 「発送電分離」「電源三法の見直し」「新エネルギーの開発援助の強化」「小規模発電の分散的配置」。何より「脱原発」を国是にすることだ。この問題はここ数年の大きな争点になるだろう。

 「脱原発の国民投票を」という意見もあるが、それに拘る必要はないと考える。仮に「原発容認の結果」が出れば、それを崩すのは困難を極めるからだ。

 また大日本帝国憲法回帰の改憲への「蟻の一穴」にもなりかねない。




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