75年目の「8・15」前後に思う:8・15をどう呼ぶか
これは些細な問題に思う人も多いことだろう。しかし歴史用語をどう呼ぶかは、歴史観、価値判断の問題である。「島原の乱」と長らく呼ばれていた事件が、最近は「島原・天草一揆」と呼ばれるようになった。地域が島原に限られず天草も広く含んでいること、「応仁の乱」のように支配階級の内部での戦乱ではなく「百姓一揆」の側面を強く持つからである。
「セポイの反乱」が「インド大反乱」と呼ばれるようになり、「日華事変」が「日中戦争」と呼ばれるようにもなった。
「8・15」を「敗戦」「終戦」のどちらも使わず「ポツダム宣言の受諾が発表された日」と僕は呼ぶ。理由は以下である。
「終戦」。戦争が自動的に終わった観がある。そうではあるまい。また歴史的事実としての「戦争終了の日」はミズーリ号で「日本の降伏文書」が署名された、9月2日をあてるのが相当だ。戦後まもなくは、9月2日が「終戦の日」と呼ばれていたのだが、昭和天皇の玉音放送に合わせて8月15日が「終戦の日」と呼ばれるようになった。「天皇の政治利用」の一つであると考える。「終戦の日」なら9月4日をそう呼ぶべきだと考える。だが「終戦」という語には、「日本が起こした戦争が自動的に終わった」というニュアンスを漂わせる。
「敗戦」。日本は確かに戦争に敗れた。だが破れたのは「大日本帝国」である。その意味で「敗戦」には「一億総懺悔」のニュアンスが漂う。戦争責任が不明確だ。破れて否定されたのは「大日本帝国」の国家体制であり、「大日本帝国」の国家としての戦争責任も問われる。「敗戦」。破れたからには「復讐を」という心理にもなりかねない。
だから僕は、8・15を「ポツダム宣言の受諾が発表された日」と呼ぶ。日本の軍国主義が否定され、政治経済の民主化が規定され、戦争犯罪者の処罰も明記された。
「ポツダム宣言」は戦後民主主義の原点である。戦争の性格も表現されている。
そこで僕は「8・15」を「ポツダム宣言の受諾が発表された日」と呼ぶ。
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