「篠弘 歌論集」 国土社刊
本書には12の論文と、他に、菱川善夫との対談が収録されている。
各論文のテーマを紹介し、論文の一部分を引用する。
1、 「現代短歌の起点」
テーマ 「戦後短歌イコール現代短歌ではない。」
「いつごろからの作歌活動をもって、現代短歌とみなすべきなのであろうか。現代という起点とはなにか。どこに上限をもとめるかは、現代短歌の性格やその志向性をあきらかにするにとどまらない。とりもなおさず近現代短歌の体質を究明することとなって、その負の遺産がはっきりされるとともに、近代から享受すべきものも鮮明になってくるはずである。・・・・」
2、 「近代と現代とのあいだ」
テーマ 「滅亡論に立ち向かった歌人達、近代の文体が戦後派まで続く」
「歌壇のはひとときシンポジウムの季節があった。そのつど全国から、百数十名からの若手歌人が集まり、短歌のゆくえを論議しあったものである。現代詩としての短歌を創造しようとする熱意にみちたもので、一つの運動体の観をみせた。・・・・・」
3、 「戦後短歌の特質」
テーマ 「前衛を含めた現代短歌の特質をトータルに論じる。」)
「ひとくちに現代短歌と言っても、戦後短歌そのものを指すわけではない。常識的には戦後からはじまったとみることが少なくないが、それは時代状況の区分にすぎない。文学世代としての「戦後世代」の起点は昭和28年から30年あたりにおかざるをえなくなってくる。・・・ひとくちで言うならば、現代は戦後短歌にたいする絶望からはじまっている。・・・」
4、「現代短歌の基底」
テーマ 「前衛短歌以降の新人」
「(福島泰樹、三枝昂之)現実にたいする思想的葛藤をふまえた新人である。(佐佐木幸綱)認識の肉眼性は、存在そのものの罪障感をあらわにとらえている。(島田修二、田井安曇)『生き方の提示』を熾烈にもとめるようになり、いっそう自分たちの悲願の正当化を主張しているかのようである。・・・・」
5、「塚本邦雄と大岡信の方法論争」「岡井隆と吉本隆明の定型論争」「寺山修司と嶋岡晨の様式論争」「『律』における思想と文体をめぐる論争」「寺山修司と岡井隆にはじまる私性論議」「岩田正と水野昌雄の抵抗歌論争」
(=この6論文は「前衛短歌論争」として、まとめられている。)
6、「菱川善夫との対談」
(=以下の7つのテーマに分けられている。)
「岡井隆をめぐって」「戦後思想からの到達」「前衛派から現代派への視野」「韻律と解体」「現代における知識人と民衆」「『新風十人』と書かれない短歌史」「戦争責任と歌人の意識構造」
7、「現代短歌の調べ」
(=以下の3つのテーマを含んでいる。)
「解体からの出発」「想像力の拡充」「根源的なる『調べ』」
この論文は次のような一文でしめくくられる。
「現代の短歌は、調べによって復興しようとしているのである。」
8、「定型の自覚」
(=以下の3つのテーマを含んでいる。)
「調べの再発見」「文体と調べ」「定型と詩心」
この論文は次のような一文でしめくくられる。
「現代派の歌人たちは、第二芸術論からまったく無傷の新人層と合流し、あらがいながら潮流をなし、現代短歌の基軸を創成しうる時代に入ってきているのである。」
9、「戦後表現の結実」「現代短歌の思想表現」
(=この2論文は、昭和40年代以降の諸問題について、論じられている。)
全体を通してみられるものは、「現代短歌とは何か」「何を目指しているのか」「前衛短歌の論争」「調べの重要性」などを、論考していることだ。「あとがき」によれば、「『近代短歌論争史』の「戦後編」をまとめるべきであった。」とある。
本書はいわば、「戦後短歌を俯瞰したもの」と言えるだろう。「短歌の新しさえを常に考えよ」と岡井隆は言う。その「新しさ」を考える上で大いに参考となる一冊である。