岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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書評:「篠弘 歌論集」国土社刊

2014年02月20日 23時59分59秒 | 書評(文学)
「篠弘 歌論集」 国土社刊

 本書には12の論文と、他に、菱川善夫との対談が収録されている。

 各論文のテーマを紹介し、論文の一部分を引用する。

1、 「現代短歌の起点」

 テーマ 「戦後短歌イコール現代短歌ではない。」

「いつごろからの作歌活動をもって、現代短歌とみなすべきなのであろうか。現代という起点とはなにか。どこに上限をもとめるかは、現代短歌の性格やその志向性をあきらかにするにとどまらない。とりもなおさず近現代短歌の体質を究明することとなって、その負の遺産がはっきりされるとともに、近代から享受すべきものも鮮明になってくるはずである。・・・・」


2、 「近代と現代とのあいだ」

 テーマ 「滅亡論に立ち向かった歌人達、近代の文体が戦後派まで続く」

「歌壇のはひとときシンポジウムの季節があった。そのつど全国から、百数十名からの若手歌人が集まり、短歌のゆくえを論議しあったものである。現代詩としての短歌を創造しようとする熱意にみちたもので、一つの運動体の観をみせた。・・・・・」

3、 「戦後短歌の特質」

 テーマ 「前衛を含めた現代短歌の特質をトータルに論じる。」)

「ひとくちに現代短歌と言っても、戦後短歌そのものを指すわけではない。常識的には戦後からはじまったとみることが少なくないが、それは時代状況の区分にすぎない。文学世代としての「戦後世代」の起点は昭和28年から30年あたりにおかざるをえなくなってくる。・・・ひとくちで言うならば、現代は戦後短歌にたいする絶望からはじまっている。・・・」


4、「現代短歌の基底」

 テーマ 「前衛短歌以降の新人」

「(福島泰樹、三枝昂之)現実にたいする思想的葛藤をふまえた新人である。(佐佐木幸綱)認識の肉眼性は、存在そのものの罪障感をあらわにとらえている。(島田修二、田井安曇)『生き方の提示』を熾烈にもとめるようになり、いっそう自分たちの悲願の正当化を主張しているかのようである。・・・・」


5、「塚本邦雄と大岡信の方法論争」「岡井隆と吉本隆明の定型論争」「寺山修司と嶋岡晨の様式論争」「『律』における思想と文体をめぐる論争」「寺山修司と岡井隆にはじまる私性論議」「岩田正と水野昌雄の抵抗歌論争」


 (=この6論文は「前衛短歌論争」として、まとめられている。)

6、「菱川善夫との対談」

 (=以下の7つのテーマに分けられている。)

「岡井隆をめぐって」「戦後思想からの到達」「前衛派から現代派への視野」「韻律と解体」「現代における知識人と民衆」「『新風十人』と書かれない短歌史」「戦争責任と歌人の意識構造」


7、「現代短歌の調べ」

 (=以下の3つのテーマを含んでいる。)

「解体からの出発」「想像力の拡充」「根源的なる『調べ』」

 この論文は次のような一文でしめくくられる。

 「現代の短歌は、調べによって復興しようとしているのである。」

8、「定型の自覚」

 (=以下の3つのテーマを含んでいる。)

「調べの再発見」「文体と調べ」「定型と詩心」


 この論文は次のような一文でしめくくられる。

 「現代派の歌人たちは、第二芸術論からまったく無傷の新人層と合流し、あらがいながら潮流をなし、現代短歌の基軸を創成しうる時代に入ってきているのである。」


9、「戦後表現の結実」「現代短歌の思想表現」

 (=この2論文は、昭和40年代以降の諸問題について、論じられている。)


 全体を通してみられるものは、「現代短歌とは何か」「何を目指しているのか」「前衛短歌の論争」「調べの重要性」などを、論考していることだ。「あとがき」によれば、「『近代短歌論争史』の「戦後編」をまとめるべきであった。」とある。

 本書はいわば、「戦後短歌を俯瞰したもの」と言えるだろう。「短歌の新しさえを常に考えよ」と岡井隆は言う。その「新しさ」を考える上で大いに参考となる一冊である。




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