星座かまくら歌会 2017年7月 於)鎌倉生涯学習センター
この歌会での尾崎左永子主筆の指導の言葉には特長がある。この頃気付いたのだが、列挙してみる。
「歌会で褒められようとしないで、批評してもらいたい作品を出しなさい」「あなたがそう思うなら、やってみたら。私はそういうことはしないけど」「自分の方向性を持ちなさい、たたかれるのは覚悟して」「斉藤茂吉、佐藤佐太郎、北原白秋、だれでもいいから好きな作歌を持ちなさい」「私の言うことは佐藤佐太郎から受けた薫陶」。これを聞くと作者の独自性を尊重しているみたいで「写実」にこだわっていないようだ。独自性。これがキーワードだ。主筆と考えが違っても本人に確信があれば、それを第一に考えるようだ。なんでもありという態度ではない。駄作は容赦なく批判される。だがそれを通して、自分が依って立つものを見つけろということだ。
それはこの日の批評の言葉にあらわれている。
「斉藤茂吉の『つきかげ』を読むとどれを読んでも斉藤茂吉の作品だ。」作品を読んで、作者名が分かるような独自性を持て。ということだろう。これは簡単なようで容易ならざることだ。
さて今回の歌会。様々な批評がなされた。
「表現が甘くはないか」「体感をシャープに表現せよ」「素材は良いが説明しなければならない作品には欠陥がある」「叙景歌であっても抒情詩であることを忘れるな」「語順を変えると作品がよくなることがある」「自分が本当に言いたいことを言い当てられているか考えよ」「語感の良しあしに配慮せよ」「感じはあるが素材に無理がある」「今の時代を表しているが感想文的になっている」「誰もが驚いたことを作品にするからは作者独自の掘り起こしが必要だ」「題材となる人へのリスペクトが必要だ」
最後に印象的な言葉があった。
「不器用でもよい。自分らしくあれ。」「上手くなったかは捨てよ、自分らしさを出し、読者を大切にせよ。」「一人一人の境涯があるだろう。誰も追いつけないものを見つけよ」
これは「自分とは何か」「自分は何のために生きているのか」これに答えを出すのに等しい。難題を投げつけられた思いだ。人間の人格の形成の根幹は幼少期だが、人間の存在は固定的なものではない。年齢に関わりなく発見があり、感動がある。新しい発見によって考え方が異なってくる場合もある。
なかなか難しい問題だが、これが醍醐味でもある。