岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

歴史学と現代の目と

2011年06月13日 23時59分59秒 | 歴史論・資料
歴史観・歴史論ではないが、森鴎外の歴史小説に斎藤茂吉がふれた部分がある。

「なお< 大塩平八郎 >には< かえり忠 >の思想を寓し、< 最後の一句 >には< 献身 >、< マルチリウム >の思想を寓し、< 高瀬舟 >では< 富の観念 >、< ユータナジー >の思想を寓せしめている。そしてこれらの問題は、人生においてみな重大な役目をなしている問題であるが、それが既に過去において、封建時代の徳川の治世において行われていたことを目のあたりに示しているのである。」(「鷗外の歴史小説」)・・・岩波文庫「斎藤茂吉随筆集」261ページ。

「歐外の歴史ものは、考証確実で、それが単に文献記録のみの上でないといふことを前言した・・・」(「同」)・・・同書268ページ。

 少し語註が必要だろう。「かえり忠」(=現在の主君に背いて元の主君、つまり敵方に寝返ること)、「マルチリウム」(=自己犠牲)、「ユータナジー」(=安楽死)。

 これらはみな封建道徳が未だ残っていた明治後半から、近代的倫理観の芽生えの問題と密接に絡んでいる。だから鷗外の歴史小説は今読むと、その価値を理解しがたい面がある。それは古臭いからではなく、明治という時代の目で歴史を見て叙述しているからである。つまり鷗外の歴史小説は明治期というその時代にとっての極めて「現代的課題」を主題としているのである。

 歴史学もこれに似たところがある。その時代の眼、現代で言えば「現代の眼」で過去を研究しているのである。だから歴史学は懐古趣味とは違って、現代社会に直結した学問だと言える。

 15年戦争が「天皇の名による戦争」だったので、終戦直後には「天皇制」「王朝交代」の研究が盛んだった。

 天皇制・王朝交代の問題で言えば、江上波夫・護雅夫・長沢和俊らの騎馬民族征服王朝説、水野祐の和風諮号による「イリ王朝・ワケ王朝」交代説、その他、河内王朝説、倭の五王の研究、安閑・宣化朝と欽明朝の並立説、武烈朝から継体朝への交代説、壬新の乱の研究、北山茂夫の天武朝から天智朝への交代の実証などがあった。これらは神武天皇からはじまる「万世一系」の歴史観の克服に主眼があった。

 考古学者が「天皇陵」の発掘調査を訴えるのもそこに関連があった。宮内庁所管の天皇陵は、古くても近世の国学者、新しくは近代の宮内省が、古事記・日本書紀を根拠に比定したもので、客観的根拠がない。

 こういうことは時代の要請から来たもの。だから歴史学は現代的学問なのだ。

 東日本大震災をめぐってふたつばかり。

1・地震学は主にここ300年くらいの時期に起こった過去の地震をコンピューターで解析して、起こり得る地震の規模、津波の高さを予想してきたという。ところが地球の歴史に比べ300年などは一瞬に過ぎない。過去の地震の研究をするなら、少なくとも古代までさかのぼって、地質学の研究成果と合わせて判断する必要がある。今回の震災が1100年前の貞願津波と同規模だったことは、あちらこちらで言われるようになった。それに加え「原発銀座」といわれる若狭湾沿岸でも過去、大津波があったことが文献から明らかとなった。関西電力は「大津波の記録は文献上確認されていない」と言い続けて来た。「文献の存在は知っていたが、地震学者がとりあげていないので信憑性がないと判断した」とのこと。その責任は関西電力にあるのか、地震学者にあるのか。

2・関東大震災のときの「帝都復興院」と「後藤新平」がさしたる成果もあげられず、「形だけの復興」まで4年かかったことを考えるなら、現在の野党第一党(後藤新平はその野党の先輩にあたる)が「政局」を云々するなど本来なら考えられないはずだろう。


 近代史になるとさらに現代に直結する。

 政治の分野で言えば、「維新の元勲」大久保利通の子孫が21世紀になっても首相(「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだあの首相)となり、戦前の滝川事件(京大教授への思想統制)を指示した、ときの文相・鳩山一郎の孫が二人とも与野党の大物政治家、閣僚経験者(うち一人は元首相)である(どうやらそのうち一人は、今無所属だそうだ。所属政党がしばしば換えるのだが、その理由がさっぱりわからない)。戦前の商工相で戦争責任を問われたその本人が、戦後になって首相となり、その孫もまた首相となった。

 経済の分野では現在の大資本グループや都市銀行の少なくないものが、戦前の財閥に由来する。(三井、三菱、住友、安田、第一勧銀・芙蓉グループ)五大財閥と呼ばれたものだ。芙蓉グループを除いて、四大財閥ともいった。

 近代史の研究は現代社会の評価や未来の方向性にまで影響する。

 このように「現代の社会的課題の眼」から、過去を研究するのが歴史学なのだと僕は思う。だから「あのときはそういう時代だった」と、過去を合理化する言い方に僕は違和感を感じる。現代の価値基準をもとに過去の事実や事件を整理・探究するのが「歴史学」。とすれば「歴史学」は現代を研究する学問だと言える。

 単なる「懐古趣味」や「昔話の掘り起こし」ではない。



*上田正昭著「大王の世紀」、直木孝次郎著「神話から歴史へ」「壬申の乱」、藤間生大著「倭の五王」、水野祐著「日本古代の国家形成」、井上光貞著「日本国家の起源」、護正夫「騎馬民族国家」、石母田正「戦後歴史学の思想」、井上清「日本の歴史・下」。






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