『荒地の恋』ねじめ正一著 文芸春秋刊
帯文からの引用。「53歳で親友の妻と恋に落ちたとき、詩人は言葉を生きはじめた。」
主人公は詩人の北村太郎。ほかに彼の妻、詩人の田村隆一とその妻、詩人の鮎川信夫などが登場する。北村太郎が53歳で、為さぬ恋に落ちる。
俗に言えば親友の妻との不倫で、三角関係だ。だが厭味がないのは、詩人を含めた登場人物全員が真剣に悩みながら生きているのが描かれているから。
話は北村太郎を中心に展開するが、田村隆一、鮎川信夫の人間像が、しっかり表現されている。それぞれの詩人の詩集を、読むと、ここで描かれた詩人の人間像が作品に投影しているのがわかる。
『荒地』は、戦後詩を牽引した同人誌。そこに集った詩人たちは、作者の人間性、生き方と、作品が直結していた。
登場人物の生活が変わると、その人物の作品にそれが投影される。ストーリーが、ストーリーだけに、愛憎が交錯もする。だが見苦しくない。それは登場人物の一人一人が、お互いへの思いやりを失っていないからだ。
舞台は、神奈川県の鎌倉、川崎。僕には土地勘があるだけに、特別に思い入れがあった。
ストーリーの面白さ以外に、文学の創作に関わる人間にとって、何が必要かを考えさせられる小説だ。
去年、短歌において肉親の死の虚構をどう考えるか、という加藤治郎と大辻隆弘の間の論争で、作家の作品の主題と、生き方の問題が語られた。
加藤治郎は言う。
「アララギの現実主義の中で、作品の主題、作者、作者の生き方は、三位一体である。」
大辻隆弘は言う。
「アララギの現実主義は、『生き方』などという甘っちょろいものではない。」
この小説を読むと、二人の発言が、双方ともおかしいことに気づく。「生き方」は甘っちょろいものではない、生き方と作品の主題のリンクはアララギの専売特許ではない。
作者の人間性、作者の生き方が、作者の価値観世界観を形成し、作者の世界観価値観が作品を生む。作品の主題もその中で、決まる。これが作品の個性となるのだ。
加藤と大辻の言うことは、双方とも少しずれていると考えさせられた。