・わが未来まだ闘いの匂ひして標的とならん誰と誰と誰
『土曜日の歌集』(1988年刊)
「闘いの歌」と言っても労働争議や平和運動の歌ではない。作者の尾崎左永子は人生を「闘い」ととらえているのだ。作者は「短歌に真向かうときは真剣勝負で臨む」という趣旨のことを繰り返し言うし、著作の端々に記述する。『現代短歌入門』にも確か書いてあった。
歌壇には作者の好敵手の女流歌人が多い。その好敵手を意識して詠んだ一首だろう。下の句の「標的とならん誰と誰と誰」。ここは言葉に勢いがあって作品を引き立てているが「語調が強すぎる」と言われたこともあるようだ。ここが佐太郎調、運河調との違いだ。「尾崎左永子調」と言えるだろう。
この一首を引っ提げて歌壇に復帰した作者。そのときに「願わくはその標的にならんことを」と手紙をもらったそうだ。その歌人が誰かはわからない。だが好敵手は作家を育てる。斉藤茂吉と北原白秋。斉藤茂吉と島木赤彦。佐藤佐太郎と宮柊二。佐藤佐太郎と窪田章一郎。
この一首は個人的にも思い出深い。僕が第二歌集『オリオンの剣』を刊行するきっかけになった一首だ。尾崎左永子が第12歌集『椿くれなゐ』を刊行したときの「後記」にこういう一文があった。
「闘いは終わった。・・・自らの手で選び、編むという歌集は、おそらくこれが最後になるだろうと思っている。」
この文章に僕は殴られたように感じた。掲出の一首を創作した作者が「闘いはおわった」と書いたのだ。これは容易ならざる言葉だと思った。尾崎主筆から第二歌集を出さないかと言われていた。だがそのころの僕はうつ病の症状が重症で薬に頼ってやっと生きていた。『運河』『星座』に出詠はしていたが、とても歌集を出版する気力はなかった。
しかし『椿くれなゐ』の後記を読んだとき力が湧いてきた。「これはヘタってはいられない」。なんと一晩で第二歌集の選歌と編集を終えた。自分でも信じられないことだった。
ぼくの闘いは始まったばかりだという思いが強かった。そこで『オリオンの剣』の巻頭にこの一首を据えた。書き下ろしだった。
・オリオンは剣を持つや寒々と冬の夜空の漆黒ふかく
そう短歌の創作は「闘い」だ。