岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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胃のない生活

2014年11月02日 23時59分59秒 | 紀行文・エッセイ
胃のない生活

 僕が胃を全摘したのは、9年前だった。原因は胃癌。まだ初期段階だったが、40代後半だったので、急激な転移の可能性があると言われた。内視鏡手術という方法もあったが、開腹手術を希望した。これは僕の個人的な思い入れだが、内視鏡手術には、今一つ信頼できなかった。

そこで僕は医者に行った。

 「ズバッと切って、疑わしいところは全部取って下さい。」

 この一言の重大さが、まだ理解できていなかった。外科医は手術歴30年のベテラン医師。全部任せた。結局、胃の全部と、胃の周囲のリンパ節、リンパ管を全て切除した。これだけ全て切ってしまうのは、珍しいらしかった。

 僕の手術室には、12人の医師がいた。麻酔が効いて行く過程で、医師たちの笑い声が聞こえた。朦朧とした意識のもとで、僕は言った。

 「この手術室に何人のお医者さんがいますか。」

 「12人です。」

 「そこで笑うのよしてもらえませんか。気分悪いですよ。」

 笑い声がピタッと止んだ。(何と頑固で煩い患者だろう。)そのあとカーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」が聞こえて、僕は麻酔で眠った。


 退院までのいきさつは省く。 問題は、退院後の生活の変化だ。

 よく「新しく胃ができるんでしょう。」と言われる。それは胃の一部を残した人の話。一部の胃が残っていれば、時間とともに胃が大きくなる。胃が新しく出来る訳ではない。

 だから僕の場合、一生、胃のない生活を送ることとなった。僕の食道は直接小腸に繋がっている。直径わずか2・5センチ。食べ物をよく噛まないと、腸が詰まる。腸閉塞になるのだ。

 そこで、ルールを決めた。食べ物を20回噛んで、少しずつ飲み込む。これで手術前と同じ食生活が出来ると思った。

 ところが、手術後3年で、腸閉塞(イレウス)を起こした。原因は蕎麦。蕎麦の食物繊維は、水溶性ではない。消化しにくいのだ。噛む回数では解決できない問題。そうとは知らず、旅行の帰りに、蒸籠蕎麦を2枚食べた。よく噛んだのだが、たちまち腸が詰まった。3日後救急車で運ばれた。

 「空気の詰まった、蛇風船が捻られてもとへ戻らなくなっている。」という医師の分かり易い説明があった。

 退院するとき、消化しにくいものの、一覧表を貰った。蕎麦、タケノコ、キノコ、貝類、ゴボウ、コンニャク、サツマイモ、海藻は、「禁断の食材」だ。(胃の全摘の手術直後に、一覧表を貰いたかった。)

 胃では、ビタミンB12が生成される。術後5年は、定期的に、ビタミンB12の筋肉注射を受けた。

 また胃がないと、電解質の吸収が悪くなって、筋肉が痙攣しやすくなる。「こむらがえり」が起こりやすい。手術後2回ほど、全身の筋肉が、つって救急車で運ばれた。今でも冷えると、筋肉がつる。そういうときはマッサージして、つった部分を温め、少量の炭酸水を飲む。

 香辛料も刺激の強いものは、食べられない。カレーライスは、要注意食品。食べるなら、「甘口」か「ハヤシライス」だ。

 おかげで、食生活をはじめ、丁寧な生き方をするようになった。噛む回数は50回に増やした。50回噛むと満腹になる。茶碗一杯のご飯、味噌汁、魚一匹で、満腹になる。

 病院の「メタボ対策」の指導と、小食になった御蔭で、ダイエットに成功した。食生活に多少の苦労もあるが、総じて、胃があるときより、健康になった。

 諺に「一病息災」というのがある。病気をするのもまんざら、悪いことだけではないようだ。



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