斎藤茂吉は熱心な仏教徒だったが、「アララギ」のなかにそれを広めようとはしなかった。土屋文明はリアリストだが、信仰を持つもつものを排除はしなかった。北原白秋は浪漫派だが、弟子の宮柊二はリアリスト・孫弟子のなかには感覚的な人もいる。ところが、である。・・・
1982年、短歌結社「未来」の内部問題が表面化して岡井隆が九州から呼び返されたときのことが、「私の戦後短歌史」のなかで回想されている。様々な問題があったようだが、象徴的な出来事は次のようなものだった、と僕は思っている。
「(< 未来 >のなかで)イデオロギー的押し付けが強く出ていた。もちろん復帰する前ですけど、例えば大会なんかやるでしょう。ばーっと会場にビラが貼ってある。< インドに井戸を、インドに水を与えよう、インドの井戸のための募金をやりましょう >。それで募金しないとちょっと具合が悪い。そういう雰囲気が拡がっていた。」
短歌は文学表現である。である限り自由でなければならない。無論、集団だから共通の目標があるのは当然。しかし共通項たりえないもの、押し付けられないもの。それは宗教と政治である。
例えば宗教。思想信条の自由はもちろんある。しかし、それには信じない自由も含まれる。宗教活動をしたければ、宗教団体で行えばいい。政治もしかり。政治活動をしたければ政党に入党すればよい。宗教と政治。まとめて狭義の思想と呼ぼう。思想を持つのは自由だし、その表明も自由である。しかし、それを全体に強いたり、そうでなければならないという雰囲気を作るのはまずいと僕は思う。広義の思想、たとえば人生観などを持たない人はいないが、ここでは除外しておく。
もっともプロレタリア短歌のように、思想の一致を、少なくとも思想の方向性をともにする場合はありうる。思想詠というのも短歌のひとつのジャンルだとは思う。それでも特定の政党の支持を結社として義務付けたりはしない。しかも大前提として、詩としての魅力に満ちた作品が求められるのは勿論である。
また似たような考え方を持つ人々が集まって、結社や同人誌を作るのは当然だから、それを否定するつもりはない。
しかしよく言われることだが、海外旅行の時に不用意に話してはいけないもの。それは、宗教と政治の話だそうである。特にアメリカ。「人種のるつぼ」といわれる国である。どこかで偶然隣会った人が、どのような宗教を信じ、どのような政治的見解をもっているかは分からない。場合によっては身に危険が及ぶ場合もあるという。
まあそれは極端な例であるとしても、短歌結社の場合、集団に亀裂を入れる原因ともなりうる。思想の表白は自由でも、全体に対して当然という態度での押し付けはこじれるもととなる。
ある結社誌の場合。「作品批評」の欄が末尾近くにあるのは、どこでも同じだと思うが、そこでおかしなことに気づいた。「後期高齢者医療制度」についての作品が多かった号でそれを批判的に書いていた筆者が、次の号では「北朝鮮のミサイル」の恐怖についての作品を出している。「後期高齢者医療制度」への批判がまずくて、「北朝鮮のミサイル」の恐怖(=批判)がよいというのは、どうしても腑に落ちない。
社会詠の場合もしかりである。よくあるパターンは、上の句が情景描写で下の句が新聞の見出しあるいはスローガン的になっているもの。これは斎藤茂吉が戦時中用いた技法で、岩波文庫「斎藤茂吉歌集」からも除外されている。隠しているのではない。文学価値が劣るからだ。もっとも茂吉は大君への奉祝歌と考えていたふしがあるのだが、これは古代への先祖がえり的なもので、いくら万葉調といっても、近現代文学としては不毛であると僕は思う。これについては別の記事にしたい。
このことはプロレタリア短歌にも言えることで、坪野哲久が大塚金之助の短歌を例に「(かれの作品が)プロレタリア短歌の反省を促した」旨のことを紹介していることは、すでに述べた。
とどのつまりは、短歌とは何か、詩とは何かという問いが常に必要だと思うのだが、いかがだろうか。短歌は定型の現代詩・現代文学であって、古代のように儀式歌・奉祝歌ではないのだから。
佐藤佐太郎の「純粋短歌論」とは、そういった宗教的・政治的な具体的事象をも「捨象」「単純化」「一般化」したところを「表現の核心」とした歌論であると僕は思っている。
なお、このブログでは短歌観や歴史観の問題を記事にしているが、それは僕の責任で発表しているものであって、これを僕の所属する雑誌の会員のなかに広めようとか、雑誌の方針にしようとか、結社や雑誌を代表して発言してるなどとは全く思っていない。ただ意見や考えは率直に言おうと思う。その責任は僕に帰するものであり、それが「言論の自由」というものだと思う。
「海の向こうのどこかの国」とは違うのだから。