・弟と相むかひゐてものを言ふ互のこゑは父母のこゑ・(「白桃」)
発想が面白い。兄弟で話をする。「互」(=かたみ)の声が父母(=ちちはは)の声だというのだ。互いに父母の遺伝子の半分ずつを受け継いでいるのだから、顔が似ているという発想の歌は見かけたことがある。同窓会などで「話しているうちに、少年の顔が蘇ってきた」という歌もよく見かける。
だが「声」に焦点をあてた歌は、僕の知る限り茂吉のこの作品だけである。そこに茂吉の面目躍如たる所以があるし、ものの感じ方の独自性がある。「赤光」の「死にたまふ母」の連作は圧巻であるのに対しこの作品は目立たない。しかし、感覚的で繊細な印象がある。
目立たないが、心にしみる。そこが一首の魅力であろう。
理屈で言えば、「父母の声」が聞こえるはずはない。それを「父母の声」と言い切ったところに、大胆な詩的把握がある。兄弟を詠った作品は茂吉にしては珍しい。その意味でも注目すべき作品だと僕は思っている。