・とことはに寂しきものかたたまりて段(きだ)にし寄する汀白波・
「暁紅」所収。1935年昭和10年作。・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌集」187ページ。
語意:「とことは=永久に、いつも、常に」「たたまる=畳んだようになる」「し=意味を強める助詞」「汀白波(なぎさしらなみ)=波打ち際に寄せる白い波」。
茂吉の自註。
「銚子の海浜で作ったものである。・・・< たたまりて段・きだ・にし寄する >は客観的であって、上の句は主観的である。これが融合して居ればいいのである。」(「作歌40年」)
「(集中の作品は、以前に)比して幾分変化の跡を見ることが出来るやうにおもふ。ひとつは抒情詩としての主観に少しく動きを認め得るのではないかと思ふのである・・・」(「暁紅・巻末記」)
この作品(銚子・平野・漁村の計49首)について佐藤佐太郎は次のように言う。
「このときの作はすべて49首、未発表のまま< 暁紅 >にはじめて収められた。発表しないということに争われない気やすさも一面にあるかもいれないが、たはり歌風の推移としておもむくままにおもむいたのであった。」(「作歌・40年年)
またこの作品自体について、長沢一作は次のように言う。
「波の穂のつながりが幾重にもなって岸に寄せて来るありさまを< たたまりて段(きだ)にし寄する汀白波 >といったのが、実に鮮やかで強い。「斎藤茂吉の秀歌」
斎藤茂吉は「みちのくの農の子(西郷信綱)だけに、「海の歌」は少ない。「山の歌」については、岡井隆著「茂吉の短歌を読む」に詳しい。しかし、ぼくは二点の注目した。
一つは上の句が主観で、下の句が客観であること。これはのちの佐藤佐太郎の「虚と実」「主観と客観の出入りにつながる重要な点である。「主観と客観のニ物衝突」は象徴詩の技法に近い。これも「象徴的写実歌」(岡井隆)と呼ばれる、佐太郎の作風の原初的形態と言えよう。
二つは、茂吉の「海の歌」の穏やかさである。同時期の「山の歌」とは全く趣が違う。これはまた、別の記事にしたいと思う。