2015年は、東京新聞が「2015年安保」と呼ぶ年だった。
2016年と2017年は、それに続いて、TPPの批准反対、脱原発、沖縄辺野古基地反対、共謀罪阻止、と慌ただしい年が続いた。文芸にはさほど影響、反応がないのが、合点がいかない。
国連が日本の人権状況、民主主義の内容と質、貧困問題、などに警告をしている。「国境のない記者団」が日本のメディアの自由度を71位とした。アムネスティインターナショナルからも数々の懸念が示され、警鐘が鳴らされている。
日本ペンクラブや一部の団体を除いて、このような状況に反応している文芸、文化団体はない。1960年安保、1970年安保との違いはどこから来るのだろう。分析は徐々にするとして、社会的な発言を続けていこうと思う。僕は昨年、日本ペンクラブの会員となった。これが一つの転機となるだろう。社会に対してものを言う文化団体が、幅広い作家、芸術家を会員として活動しているのを実感した。
歌壇は相変わらず、ポップカルチャーと言う面があるし、短歌の総合誌を読んでも、社会性、時代性のある、作品や評論は少ない。だからこそ発言できる人が発言していかなければいけないと思う。作品にも社会性のあるものを創作していきたいと思う。大手メディアではほとんどとりあげられない情報も紹介して行こうと思う。
FBが僕の創作意欲を刺激し、交友範囲を広げ、社会の意見を公表し、情報を取得する大きなツールとなった。しかしFBのアカウントを持たない人がまだまだ多い。だからこのブログにも、社会へのメッセージの発信の記事を投稿して行こうと思う。
ことしは改憲をめぐって大変な年になるだろう。昭和初期の日本の状況が、現在に似ているとよく言われる。「そんなことはない。」とテレビ番組で繰り返し言っていた田原総一郎が「安倍九条改憲NO」の全国署名の発起人になった。
沖縄では警察機動隊の暴力が酷くなっている。沖縄の民意は明らかだ。「これ以上の米軍基地は要らない」度重なる選挙で民意を明らかにしているのに政府は顧みようとしない。非暴力の座り込みを暴力的に抑えつけている。歌人の多くがこういうことに距離を置いているように思う。
総合誌の別冊で「戦争はなぜおこるのか」という特集があったが、「戦争は人類の業である」「戦争が起これば戦争を賛美する短歌を詠むだろう」という歌人が少なくない。
縄文時代には戦争がなかった。暴力、殺人、戦争が、人骨から確認できるのは弥生時代からだ。戦争は人類が逃れえない宿命ではない。人間の英知で防げるものだ。これに関連した資料もこのブログで紹介したいと思う。
そういうことを踏まえた作品も発表していきたい。それには健康を維持する必要がある。昨年は二度の救急搬送を経験し、11月には動脈瘤破裂で落命寸前までいった。健康の維持も大きな課題だ。