岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「星座α」17号作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで

2018年11月15日 19時56分15秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
「それぞれにドラマがある」


 今回は猛暑のもとでの選歌だった。夏の歌が多かったが、出詠者一人一人の生活にあるドラマ性を思った。

・(和太鼓を聞きながら赤子をあやす歌)


 盆踊りであろうか。熱を出した赤子への愛情が感じられ、上の句の比喩が効いている。


・(庭木に容赦なく日光の差す歌)


 今年は酷暑だが、作品からはそれがひしひしと伝わってくる。刈り込んだ植木がら陽炎が立つようだ。


・強い日差しに当たりながら動かない黒猫の歌)


 これも猛暑の歌だが、黒猫が暑さに耐えるかのように、蹲っているのが目に浮かぶ。あるいは作者自身を仮託しているか。


・抱く籠の中の子犬の歌)


 斉藤茂吉の「売犬」の歌をふと連想した。こうした細やかな愛情が歌には必要と思う。愛情を持った上で、人間や社会に切り込んで欲しい。


・(まといつく蝶を見て、遠くへ行きたいと思う歌)

 下の句、表白の思いはだれにでもあろう。それを上の句の具体で見事に表現した。「まとひつく蝶」にやみがたき思いを感じる。


・(子らの帰らぬ家で沙羅の花に雨が降るのを見ている歌)

 境涯詠である。老いの歌だが愚痴でないのがよい。沙羅は沙羅双樹のことで、釈尊がこの木の下で入滅したことから、滅亡や儚の印象につながる。「平家物語」の冒頭の「祇園精舎」の段は名高い。


・炎天の道のかたわらに向日葵の咲く歌)


 これも猛暑の歌。出詠者それぞれにドラマがあった。




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