・こがらしも今は絶えたる寒空よりきのふも今日も月の照りくる・
「白桃」所収。1933年(昭和8年)作。・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌集」170ページ。
まずは茂吉の自註。(「作歌40年・石泉抄」)
「昭和7年もふゆになった。・・・こがらしの吹く季節もやうやく過ぎて、冬が深まるにつれて、月の光がますます冴えわたるのを見るのである。香川景樹の歌調のやうでもあるが、必ずしもさうでもないから心して読まれたい。」(「作歌四十年」)
まず腑に落ちぬところがある。「白桃」も岩波文庫「斎藤茂吉歌集」も「昭和8年」と明記してあるにもかかわらず、「作歌40年」では「昭和7年」となっていること。
「白桃」の刊行は昭和14年。「作歌40年」は昭和19年執筆完了。この自註は昭和19年執筆(手帳による)。おまけに「作歌40年」は執筆を終えたままの状態で茂吉の手もとにあった自筆原稿によって、昭和48年発行の「斎藤茂吉全集」ではじめて発表されたものだから、収録歌集と「作歌40年」の食い違いが起こったのだろう。
斎藤茂吉の歌集の編み方にはこういうところがある。たとえば、「作歌40年」には「いきほひ抄」「とどろき抄」「くろがね抄」「昭和19年抄」の4つがあるが、実際刊行された歌集にはそれがない。これらは戦後に出版するときに「霜」「小園」のふたつにまとめられた。戦争に関する「時事詠」を削除したのだ。
つまり茂吉としては、戦前に出すつもりだったのだが、戦後になって「平和の歌」だけで「霜」「小園」のふたつにまとめたられたのだ。このへんのいきさつは岡井隆著「茂吉の短歌を読む」に詳しい。
茂吉の自註にある香川景樹は近世末の歌人で、桂園派(旧派和歌)の祖となった歌人。茂吉のこの作品はやや古風なのでそう自註したのだろう。
さて佐藤佐太郎の評価。
「単に眼前の光景というよりは冬という季節の底をのぞいたような感慨である。< こがらしも今は絶えたる >は、一日のこがらしが吹きやんだというのでなく、こがらしの季節が過ぎたというのである。< 今は絶えたる >という言い方、「きのふも今日も」との関連において、そのように受け取れる。・・・こまかな点まで神経がゆきわたっており、しかも言葉が永く切実にひびいている。」(「茂吉秀歌・下」)
長沢一作の評価。
「奇もない冬の夜の情景であるが、だが、この沁みるような切実な声調は何であろうか。・・・ただ、冬だというのではなく、時の推移がここに見られている。・・・ここに現実の奥が見られているだろう。」(「斎藤茂吉の秀歌」)
ほぼ同じ評価だが、この一首の眼目は「調べのおおらかさ」だろう。香川景樹は旧派和歌の祖だが、「しらべの説」を唱えた。僕は「一瞬を切り取る」という点から見ると、冒頭の茂吉の作品はやや弱いように思う。だが「しらべをととのえる」のは案外難しく、その面では茂吉の力量を示していると思う。何よりも夜の情景が顕つのが、最大の魅力だろう。「調べ」「景が顕つ」と、時の推移も一首の中に詠みこめるということだろう。
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