・ひろびろと海につづける川口のみづのいろ重し満潮のとき・
「群丘」所収。1959年(昭和34年)作。
佐太郎の自註。
「いまは様子がだいぶ変わったとおもうが、江戸川の河口である。干潮時には浅く、満潮時には満々として海のつづきのように青々となる河口を、< みづの色重し >と言ったのがやや意を得た表現であった。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
この文を読むと、首都圏では叙景歌を詠む環境が年々悪くなるという事実を感じる。写生派・写実派の歌人が地方に多くいるのも、むべなるかな、である。一首のなかに「秋」の語はないが、「海雲」(自選歌集)では、「晩夏初秋」の一連に収められている。
しかし、都市にも自然はある。俗に「コンクリート・ジャングル」などと呼ばれているが、100パーセントがコンクリートやアスファルトに覆われている訳ではない。要は何をどこにどう発見するかである。
それと、この一首と自註の中の重要なポイントは、「みづの色重し」を「意を得た表現」と述べている部分だ。無論、重さを測ったわけではなく、視覚でとらえたものである。いわば作者の主観がここに活きているのである。
伊藤左千夫・島木赤彦は主観を表現すること稀だった。特に島木赤彦は主観語を極端に嫌った。「概念歌」も「写生」の一部だとは言っているが、叙景歌に主観をまじえることはほとんどなかった。
だから佐太郎が「意を得た表現」といった部分の表現方法は、斎藤茂吉から受け継いだものだと思う。
たびたび書いてきたが、「赤光」の主題は「かなし」、「あらたま」の主題は「さびし」、「ともしび」の主題は「苦しさ」である。客観写生というより、「客観を詠むのを基本としながら、主観を表現しそれを掘り下げる」のが、斎藤茂吉と佐藤佐太郎の「写生・写実」だ。そこに茂吉・佐太郎と伊藤左千夫の溝があるし、島木赤彦・土屋文明との違いもある。(ただし佐藤佐太郎作品の「主題」は「自己凝視」「抒情の掘り下げ」であり、岡井隆らの「思想詠」や土屋文明の「生活即短歌」、リアリズム短歌とも違う。)
斎藤茂吉と佐藤佐太郎の歌論を読むと「短歌は5・7・5・7・7の定型詩であり、抒情詩である」という記述がしばしば見られる。
佐藤佐太郎と同年代の歌人に宮柊二がいる。同時代だけに同じ素材をよんだものも少なくないが、佐藤佐太郎の方が「主情的」である。これも「理想派」と伊藤左千夫から呼ばれた斎藤茂吉から受け継いだものだろう。