現代歌人協会定時総会 於)神田 学士会館
現代歌人協会の定時総会に出席した。多くの歌人が参加すると思ったが、委任状が多く出席したのは40人足らずだった。
だが総会のあとに開かれた、現代歌人協会賞の授賞式と懇親会では収穫があった。今年の現代歌人協会賞は、吉田隼人の『忘却のための試論』だった。親しい人の死をテーマにした挽歌と自らが生きていくという人間の生死を掘り下げている。
現代歌人協会会報147号の自選20首から作品を紹介しよう。
・枯野とはすなはち花野 そこでする焚火はすべて火葬とおもふ
・大陸でやがて発掘さるるといふかつてあなたであった始祖鳥
・ゆきぞらにどこかあかるみゐるところありて希死とはこひねがふこと
寺山修司に影響を受けたと作者が言ったとおり難解歌だ。選考委員会でも難解性が「独りよがりではないか」と批評されたという。だがこれらの作品が結ぶ印象は鮮明だ。こういう作品を意味をとろうとして読んではいけない。たとえば吉田一穂、西脇順三郎。こういう詩人の作品を意味をとろうとして読む人はいないだろう。表現方法が象徴詩的なのだ。
人間の生死を表現しようとする強い意志が感じられる。一つ一つの作品に重みがある。これは特筆すべきことだろう。
人間のありかたを深く掘り下げようとしているところ。作品に軽さがないこと、感想で終わっていないこと。これは貴重だ。
作者と話した。早稲田大学の芸術創造学部。ぼくが卒業した第二文学部の後継学部だ。「早稲田短歌会」で鍛えられたという。僕の後輩にあたる。本人は極めて謙虚だったが、受賞作に相応しい。
また何人かの歌人、編集者とも挨拶をかわした。僕は去年入会したばかりだからこういう些細なことが、貴重な体験だ。例によって食事は噛む回数を数えていたので食事中に話は出来なかった。
このところそういう場面が多い。不愛想な奴と思われてもこまる。
「私は胃がありません。腸閉塞を防ごうと噛む回数を数えています。口を動かしているときはお話しができません。ご容赦ください。」
と書いたプレートを作ろうかと本気で考えている。