僕の家に一枚の写真がある。父の学生時代の写真だ。いつ写されたのか記録はないが、制服制帽から断定できる。戦時中の「大連第一中学」在籍時代のものだ。
その父の写真は、驚くほど眼光が鋭い。いまにも怒鳴られそうな、殴られそうな顔をしている。この写真を見て、僕は短歌を一首詠んだ。
・軍国の少年たりしわが父の古き写真の眼(まなこ)鋭し・
角川「短歌」の公募短歌館の佳作となった作品だ。「詩人の聲」の公演でも時間をとって読んだ。「社会詠50首」のなかの一首。
父から聞いた話だが、「学生時代は死ぬことばかり考えて生きていた」という。戦争が激しくなり、大学生の徴兵免除も撤廃され、父の世代は次々と戦場へ送られた。幸い、召集令状が来る前に戦争が終わり、父は生き延びた。だが、ほとんど生まれてから成人するまで、兵隊として戦場へ行き、「死ぬのを考えていた」という異常な経験は、父の性格に深い刻印を刻んだ。
乱暴なのだ。行為ではなく考え方が乱暴なのだ。「戦争中の非人間的な生活」が投影しているように、僕には思えた。このことを一番感じていたのは、僕の祖父だった。
祖父は明治生まれ。大正デモクラシーの時代に、思春期を過ごした。頑固だったが、性格は温和だった。浅草のオペラ劇場に出入りし、オペラの同人誌を作り、俳句、琵琶をよくして、何かこう知的なところがあった。大正時代の「モダンボーイ」はかくありしかと思う様なひとだった。部活の「しごき」も大正時代まではなかった。祖父は、大学のボート部で筋骨逞しいひとだったが、「しごき」を受けたことも、したことも無かったそうだ。
先日、佐藤佐太郎の年譜を調べていたら、佐太郎と祖父がほぼ同じ時期に浅草に出入りしている。佐太郎をはじめとする「新風10人」が、「良心的厭戦の傾向を持つ」というのは、山本司の言だが、それが僕にはよく分かる。思春期をどう過ごすかが、人格形成に大きな影響をあたえる。
様々な人の発言を聴いても、戦中は「野蛮」だったようだ。俳優で歌手でもある美和明広は、学校の配属将校に何度殴られたか分からないと言う。また差別意識も強かった。朝鮮人差別、中国人差別、精神障碍者への差別、ハンセン病患者への差別。これもひどかった。
戦争は、兵士のみならず、国内の日本人をも非人間的にした。言葉を変えるなら、「戦中は『差別と暴力的な時代』だった」と言えよう。
「はだしのゲン」に、差別的、暴力的表現が多いという理由で、関西の教育委員会が、「はだしのゲン」を、生徒の目に届かないところへ移すように指導し、校長会が撤回を求めるという事案が発生している。しかも「はだしのゲン」を読んだ生徒を追跡調査するという。
これではまるで、戦前の思想調査だ。とても納得など出来ない。
僕は「はだしのゲン」を全巻読んだ。戦前の人間がリアルに描かれていると感じた。戦争中の異常さもよく伝わってきた。これを生徒の目に届かないところに置き、読んだ生徒を問題視する大人の方が、よほど異常だと思う。
「南京事件をどう考えるか」の書評で紹介した、藤原彰が発言のように、「戦前の実像を知られたくない人間」の「歴史の隠蔽」に加担するものと、断じてもいいだろう。