最近『短歌研究』や角川『短歌』で近代短歌に関わりのある記事が目立ってくるようになった。
近代短歌に学ぶのは重要だとかねてから思ってきた。歓迎すべきことだと思う。それと同時に或る危ないものを僕は感じている。
それは「復古主義」への回帰である。言葉を変えれば「戦後民主主義」への懐疑、或いは否定であると言ってもいいだろう。「戦後民主主義」が「絶対的」とは言わないが、歴史学の成果をなおざりにし、「戦後の民主化」まで100%否定しかねない傾向には、危ないものがある。なぜならここに戦後の日本の再出発があったからである。その再出発の原点を否定することは、日本の再出発が間違いだったということに繋がるからである。
1945年(昭和20年)、アジア太平洋戦争に日本は負けた。ポツダム宣言を受諾したのだ。それは「大日本帝国の敗北、瓦解」であり、東アジア諸国、とりわけ中国や朝鮮・韓国(コリアと言おう)にとっては、8月15日は解放記念日であった。
アジア太平洋戦争では膨大な死者が出た。日本人の死亡者数が約310万人、そのうち民間人は約80万人。それに対して東アジア諸国の死亡者数は2000万人から3000万人。こちらの方の死亡者数は、けたはづれに多い。
この戦争が日本という国家の国策の誤りだったことは、村山内閣、小泉内閣で確認された。戦争が国策の誤りだったことは否定できない事実である。
国策に誤りがあったからには正さねばならない。それが「戦後の民主化」の原点であり実態、本質である。占領軍はアメリカ軍を中心とする連合国であった。その占領軍の総司令部が GHQ (GENRAL HEADQUARTERS)だった。
GHQ が占領軍である限り、超法規的存在であることは免れえない。GHQ の命令、特にマッカーサーの司令を受け入れ拒否出来なかったことも事実である。だがここで見落としてはならないのは、GHQ やマッカーサーが恣意的で思いつくままに占領政策の決定や指令を出していたのではないことである。
「ポツダム宣言」の実施が GHQ やマッカーサーの「指針」だった。「ポツダム宣言」の内容は「日本からの軍国主義の一層」「政治制度の民主化」(基本的人権の確立された憲法の制定、選挙制度、民法の改正など)、「経済の民主化」(財閥解体や農地改革など)があった。(かっこ内はGHQ による具体化)
戦争責任の追及もその一環だった。それを裁いたのが「東京裁判」である。東條英樹ら A 級戦犯が処刑、終身刑、などの判決、判決の執行を受けた。
これらが「薔薇色」ではなかったこともまた事実である。すでに冷戦が始まり、中国革命の進展などにより、占領政策は転換してゆく。また「東京裁判」でもインドのパール判事が A 級戦犯の無罪を主張している。とくに占領政策の転換はアメリカの都合によるものであった。
だが忘れてはならないのは、「ポツダム宣言」の実施は正当なものであり、パール判事の反対意見も罪状の正当性に異を唱えたのであって「この反対意見により日本の軍国主義が免罪されうるものではない」と明記されている。
「ポツダム宣言」は完全実施されなかったが、日本の軍国主義を一掃する上で重要な位置を占めた。それは否定出来ない。吉田茂、白洲次郎などは「ポツダム宣言」の実施に反対、抵抗したものたちである。それがテレビドラマ等では「かっこよく」描かれている。これにシンパシーを感じると言うツイート等がネット上を駆け巡っている。
歌壇に於いても、近代短歌に学ぶこととセットで、戦争中のプロの歌人の戦争責任を不問に付した、三枝昂之著「昭和短歌の精神史」が発刊され、斎藤茂吉の戦意高揚の未刊の歌集「萬軍」がこの21世紀になって初めて発刊された。これらはアジアの諸民族の少なくとも2000万人以上の死亡者を出した、アジア太平洋戦争に対する日本と日本人の責任に口をつむるものばかりか、居直るものだと僕は思う。
こういうことをいまだにしているから、日本は中国やコリアなどの人々から信頼されないのだ。歴史学の役割も重要になっている。最近「新しい歴史学」として、戦後歴史学の成果を否定する動きが顕著だ。
歴史学会の動き、歌壇の状況、テレビドラマの反響と三拍子揃えば単なる偶然では済まされなくなる。ここに僕の感じる「危うさ」があるのだ。
*参考文献*
安在邦夫著「自由民権運動への招待」、中野敏男著「詩歌と戦争-白秋と民衆、総力戦への道-」、江口圭一著「二つの大戦」、加藤周一著「戦後世代の戦争責任」、
神田文人著「占領と民主主義」。