短歌は一人称の文学と言われる。作者みずからが自己凝視した作品に注目した。
(白梅を透す光に過去の日々を思う歌)
上の句と下の句のつながりがないように見えて、下の句の自己凝視を上の句の状況下で行われたことが連想される。きっぱりと言い切った下の句の表現が成功した。
(小さい蜘蛛を放つ歌)
蜘蛛を見つけるというのは偶然だが、その時作者は蜘蛛の命を感じた。その感覚は、作者自身の命とも重ねられているだろう。放ったということに命への愛おしみが感じられる。
(山も海も輝く知床の冬の歌)
北海道へ移住した作者。歌柄がひとまわり大きくなったようだ。叙景歌だが、流氷の海を見る作者の孤独な姿が顕ちあがってくる。
(卓上の大きな地球儀をまわす歌)
大きな地球儀を玩ぶのはチャップリンの「独裁者」で有名だが、作者はそれによって、世界を知り、生きる糧としている。思考のスケールが大きく、自分の生き方をしっかりと見据えている様子が読み取れる。
(自分の残り世を静かにたどろうとする歌)
(車窓より輝く川面をみて帰らざる時を思う歌)
命はひとつ、人生は一回。このことを感じるのに年齢は関係ない。前者の方が人生の終わりを切実に感じているが、両者とも自分の過去をひまえた上で、行く末の生き様(いきよう)を考えているのだ。
(咎められ死を選んだ児の遺書の文字の歌)
自死した児。その残した文字が痛々しい。他人の死を見詰めるのも、作者自身の命を見詰めることにつながり、重なる。