第24回「8・15を語る歌人のつどい」於)日本青年館
この「つどい」は故・山田あきの提唱で、「短詩形文学」が中心となって始められたものだ。今は「8・15を語る歌人の会」が主催している。
特定秘密保護法、集団的自衛権容認の閣議決定と相次いだなかで開かれて、どういう内容になるか注目していった。
講演は、作家で翻訳家の池田香代子が「戦争は平和」(ニュースピークにご用心)と題して行われた。心に残った話もあったが、話題がやや散漫となったのが、惜しまれた。
彼女は叔父が、特攻隊で戦死した遺族である。普通遺族というと、靖国神社に参拝し、戦争を肯定し、戦争を批判する人はめったにいない。少なくとも僕のあった遺族は、そうだった。
しかし、彼女は断言した。「戦争はクソだ」「叔父は犬死した」「靖国神社のあり方は間違っている」。これほど断定的に、先の戦争を批判した遺族を僕は知らない。
「歌人は文学者だから、言葉に敏感な文学者らしい発言を。」という話も印象的だった。
例年のごとく、「短歌リーディング」「スピーチ」が行われた。だがここで思ったことを率直に書かせてもらおう。
会場には会の運営に関わる著名な歌人が何人かいた。しかし、そのなかで、「戦争と平和」について、歌壇で発言する歌人は、水野昌雄ただひとり。特に「短歌リーディング」では、各結社の雑誌に発表された、「新聞の見出し」のような短歌が詠みあげられ、少々辟易とした。「スピーチ」でも、戦争での被害体験だけが話され、加害体験、日本が戦争の加害者となる可能性が高まっているという認識が希薄ではないかと思った。
日本歌人クラブの常任幹事を歴任したひともいたが、社会的発言をした歌人はいない。これでは「戦争を拒み、平和を求めて声を上げていこう」という、つどいの趣旨を体現していないのではないか。
こういった著名な歌人は、発言の機会が多いだろうから、積極的に発言してもらいたいと思う。特定秘密法が施行され、共謀罪が制定されれば、こういう集会も規制の対象となるかもしれない。社会情勢はここまで来ている。
今は亡き、島田修二の言葉が思い出される。「これからは、作歌に当たっても、選歌に当たっても、もう少し勇気を出したい。」