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書評:「集団的自衛権と日本国憲法」 浅井基文著(集英社新書)

2015年06月23日 23時59分59秒 | 書評(政治経済、歴史、自然科学)
集英社新書「集団的自衛権と日本国憲法」 浅井基文著

 本書の特色は、基本的な事を整理した上で、日本人が当然と考えている事に疑問を投げかけていることだ。


 1、定義:

 ・戦争=国家がほかの国家に対して戦争の意思を表明したうえでおこなう武力行使。

 ・自衛権=ある国家が、ほかの国家から不法な武力攻撃を受けたときに、それを排除するうえでほかに手段がなくて緊急やむをえない場合、必要の限度を越えない範囲で反撃する権利。


 ・集団的安全保障=国際連盟で初めて規定された概念。規約違反の戦争をおこなった加盟国を、戦争の相手とされた国家だけの問題とせず、他のすべての加盟国に対する挑戦と見なし、集団として対抗措置をとる仕組み。

 ・集団的自衛権=国際連合で初めて規定された概念。著者はこれを軍事同盟と考えている。つまり国家として当然保持している権利ではない。


2、投げかけられた問題と疑問:

 ・国連中心主義は妥当か。国連は加盟国すべての協力を前提としているが、米ソの対立で実現できていない。そこで国際連合が大国の意思に左右されるようになった。いわば歴史的なものであって、時代とともに変化してきた。

 以前は日米安保に反対の人たちが、国連中心主義を唱えていた。しかしアメリカが日本に軍事的負担を求めるようになって、日米安保推進の人びとが唱えるようになった。

 したがって、国連の決定が必ずしも妥当とは限らない。

 ・国連憲章の内容。憲章は、加盟国が武力行使をつつしまなければならない、と言う表現で、あらゆる武力行使を違法とした。国家には、自衛権はあるかと、著者は根本から問いかける。


 ・集団的自衛権はありうるのか。これについて著者は「集団的自衛権は、アメリカが「合法的」に軍事行動をとるための免罪符としてつくりだされた」とする。(=集団的自衛権を初めて主張したのは中南米諸国だが、アメリカがこれに飛びついた理由はまさにこれだろう。アメリカが反対すれば国連憲章には入らなかったはずだ。) 

 さらに集団的自衛権は「自衛」ではなく、「他衛」であるとする。(=これについては、免罪符を得たのはソ連も同じだと、僕は思う。しかし、集団的自衛権を特殊な歴史的産物という考えは傾聴に値すると思う。)


 自衛権は、個別的.集団的と、独立国の固有の権利と考えられている。それを根本から問い直そうというのが、本書の特徴である。「アーミテージ報告」などアメリカの軍事戦略をふまえての叙述も、大いに参考になる。

 印象的な叙述を紹介しよう。

 「自衛権自体が、国家が戦争する可能性を確保しうる必要が感じられる歴史的な状況のもとにおける、すぐれて政治的考慮にもとづく産物という性格をもっていました。」

 「まして集団的自衛権については、個別の自衛権(つまり本来の自衛権)以上に、国家に固有の権利ということには無理があることをしっかりと確認しておきたいと思います。」

 「すべての国家が自覚的に国際ルールや法を守り、育てるようにならなければなりません。・・・具体的には、国連がアメリカの思いどおりに動くような状態を改めさせることが重要な国際的課題です。(=これについては、中国、ロシアという大国の思惑が大きく働いていることも、考慮すべきだろう。)」

 「(考えるべきポイントは)憲法違反の日米安保体制をそのままにしておくことは、民主的な法治国家とそして、そもそも許されるのか、ということです。」(=日米安保が憲法違反かどうかは、異論もあるだろうか゛、集団的自衛権と日本国憲法第九条が並び立たないのは事実だと思う。)

 集団的自衛権の問題を考える上で、多くのことを示唆する一冊である。





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