・水のうへに数かぎりなきもの浮けり木立のなかの春くれむとす・
「寒雲」所収。1937年(昭和12年)作。
この一首。下の句が見どころだろう。「木立のなかの」「春くれむとす」。この表現で、作者の位置、季節、時間帯がわかる。それだけ言葉が練られているのだ。
また「木立のなかの春」というのは、作者自身の感受、発見であり、斬新である。
上の句の「数限りなきもの」と具体的には言っていないが、芥のたぐいか、枯葉か。暗示的な表現なので、却って想像力がふくらむ。余韻があるのだ。そこに省略の妙がある。単純化とはこのことである。
ところが、茂吉の自註も佐藤佐太郎の「茂吉秀歌・下」にも、長沢一作の「斎藤茂吉の秀歌」、塚本邦雄の「茂吉秀歌・全5巻」にもとりあげられていない。広く知られた歌だけが佳詠ではないということだろう。
茂吉の関心は、もっぱらこの年に起こった「支那事変」(=現在の歴史用語でいえば日中戦争)に向けられていた。いわゆる時局詠だ。そこに茂吉の「時代の限界」を見ることもできる。
さまざまな事を考えさせられる一首だが、次のような作品もある。
「近況雑歌」
・春くれむとしつつ胡頽子(ぐみ)の白き花さきむらがりし鉢を並べぬ・
・茎赤く萌えにし蕎麦をたまはりぬ朝な朝な食(を)すわがいのち愛(を)し・
・つちのうへに茎くれなゐに萌えいでしものを食ひつつ君し思ほゆ・
・森なかに寒さをたもつかくれ沼(ぬ)に散り浮くものは木の花らしも・
戦争戦争詠より、こちらのほうがずっといい。当時の茂吉はそうは思わなかったようだが。