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書評:『戦争責任』 家永三郎 著 (岩波現代文庫)

2015年06月26日 23時59分58秒 | 書評(政治経済、歴史、自然科学)
「戦争責任」家永三郎 著 (岩波現代文庫)



 本書の特長は、アジア太平洋戦争(15年戦争とも言う)の「戦争責任」を、国家としての日本、加害者としての日本国民、そして連合国の戦争責任を明らかにしていることにある。


 先ず著者は、戦争責任が問えるかどうかを考察している。「罪刑法定主義」というものがある。そのときに法律になければ罪に問えないと言う考えだが、著者はこういう。

「Aなることを行ってXなる結果が出た場合に、Bなることをもしおこなって、Yなる結果が期待され、Xなる悲惨な結果が回避された場合、法律になくとも責任が生じ、罪に問える。」としている。また「激動の変革期には『罪刑法定主義』は必ずしも成立しない」という、法理論を紹介している。

 そして負うべき責任の範囲だが、これを多岐にわたり分類している。国家としての日本の責任に関しては、「中国に対する責任」「マライ半島諸民族に対する責任」「フィリピンに対する責任」「グアム島民に対する責任」「インドネシアに対する責任」「ビルマに対する責任」「ヴェトナムに対する責任」「朝鮮民族に対する責任」「台湾島民に対する責任」「旧委任統治領太平洋諸島住民に対する責任」「(ソ連をのぞく)アメリカなど連合国に対する責任」「中立国に対する責任」「ソ連に対する責任」と、相手別に詳細な責任を論じている。

 さらに日本という国家の責任は「日本国民」に対してもあると言い。日本国民もアジア諸国に対して、責任を免れえないとしている。戦争が始まる前に効果的な反戦運動が構築出来なかったのも「日本国民の戦争責任」としている。

 さらに、アメリカによる原爆投下、東京大空襲、の責任、ソ連の参戦時の責任も明らかにしている。

 いわば「戦争責任」を全面的に追及しているのであり、その中に著者、家永三郎自身、日本国民に連続する戦後世代にも戦争責任があるとしている。しかも法的責任にとどまらず、政治的、道徳的責任も問うている。

 個別の問題では、「従軍慰安婦」「南京事件」「植民地統治」などの、資料や証言、回顧録などに広く当たって、責任を明らかにしている。

 歴史研究者として、生涯に渡って読みこみ蓄積してきた資料を基にしているので、非常に説得力がある。歴史修正主義者の著作にこれだけの資料に当たって叙述されたものはないだろう。だがこれは一朝一夕に書かれた著作ではない。著者の若い時の名著「太平洋戦争」、学会の重鎮となってからの「歴史と責任」。この二冊に原形がある。

 歴史研究者の生涯をかけての、渾身の一冊と言えよう。著者は最後にこういう。

「日本の戦争責任」は日本人自身の手でなされるべきだった。だがそれができなかったところに問題があった。責任追及は未だ終わっていない。」

 「自由主義史観」「歴史修正主義」などが、いかに俗論かが思い知らされる。戦争を考える場合必読の一冊だ。これほど心を揺さ振られた歴史書に、僕は未だかつて出合ったことがない。




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