「生誕140年 与謝野晶子展 記念講演会」 講師:尾崎左永子
今年は与謝野晶子の生誕140年。神奈川近代文学館で「与謝野晶子展」が開催されている。その記念講演が連続して企画されているが、4月7日は「星座」の尾崎主筆が話すというので母を連れて聞きに行った。
公演のタイトルは「『恋衣』そして晶子と古典」だった。
始めに「恋衣」か「恋ごろも」か。の話。どう表記するかで議論があるようだが「どちらが正しいかは決めつけない方がいい」と言う。与謝野晶子の歌人としての、その作品には様々な評価がある。その評価は時代とともに変わってきた。定説というものが覆される場合もある。だから固定的に考えないように。という意味と僕は解釈した。
与謝野晶子は反戦歌人かそうでないか。「君しにたまふことなかれ」は反戦の作品かそうでないか。与謝野晶子の評伝を読んでも、自分の晶子像に合うように、無理して解釈している場合がある。
次に、「明星」の女流歌人と「恋衣」事件。
「明星」の女流歌人が花の名で呼ばれていたこと。与謝野晶子、山川登美子、増田雅子の三人の合同歌集「恋衣」が原因で日本女子大の反発で停学処分寸前になった経過が話された。大日本帝国憲法下、「女性は無能力者」とされていただけに、女流歌人の活動は難しかった。それに関連して与謝野晶子が、女性運動や社会運動にエネルギッシュに取り組んでいたことが言及された。
三番目に「晶子と古典」。
晶子が文学会などで古典を講義していたことと、古典の翻訳をしていた具体例が資料に列挙されていた。その一つ一つを解説せずに、「明星」の歌の裏には古典の裏付けがある、創作は人間の存在理由、今何をするかが大切、挑戦することの重要性。創作は生きる力である、読書が自分を支えている、やりたとをやろう、などと話された。
そして軍国主義が広がってゆく時代に、どう生きるかのヒントを与謝野晶子の生き方に見ることができる、と話された。
これは現代の時代状況を意識しての発言だと思った。
創作意欲と読書欲が刺激される講演だった。