岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

英語修行の頃のささやかな経験:言葉の習得について

2010年09月03日 23時59分59秒 | 外国語教育の現場から
人間の脳には、さまざまな機能がある。思考力・記憶力・判断力・・・。

 このうち記憶力は18歳から20歳をピークとして徐々に下がるという。逆に思考力・判断力は年齢とともに伸びていくそうである。何歳くらいがピークというのは個人差があるそうだが。

 若い時期が語学の習得にとって適しているといわれるのは、まさにここにある。母語については言語の基礎は3歳くらいまでに出来上がるそうだ。もちろん引き続き語彙は増えていくし豊かになる。この母語が基礎となって、思考力・判断力が育まれる。記憶力のピークが判断力や思考力のそれに先んずるのは、ここに原因がある。

 さて語学の習得の問題だが、僕の場合英語をマスターしたのは比較的遅かった。記憶力のピークを超えていた。必要があって集中して取り組んだのだが、まさに英語漬けになった。

 英語圏の人と直接話したいと思ったのがそのきっかけだった。< カテゴリー「大学の学問と僕の文芸」 >の「法と道徳・大学の授業回想」の記事にも書いたが、英語圏の人間と日本人ではかなり考え方や価値観に差がある。直接のコミュニケーションを通じてでなければ感じ取れなかっただろう。

 英語によるコミュニケーションを希求したのは、正にそこにあった。中学高校の頃は好きな科目ではなかったから、惜しいことに記憶力のピークは超えていた。しかし、決め手となったのは、「スクール・イングリッシュ」だった。

 中学・高校で習得した「単語力・文法力」を総動員して、瞬間的に英作文をして英語を話す。日本語を母語とする限り、まず出発点はここしかなかった。日本語でまず考え英語になおす。いま流行りの方法とはかなり違うが、他に手はなかった。

 そのうち日本語で考える時間が短くなりはじめ、英語が口をついて出るようになった。次に英語で寝言を言った。(そうである)そして最後に英語で話す夢を見た。夢の中で「日本文化とアメリカ文化の違い」を一生懸命アメリカ人に話していた。

 ここまできてアメリカ人の知人に言われた。

「君はバイリンガルだよ。」

もうすでに日本語で考える必要はなくなっていた。「比較的はやくマスターしたね」ともいわれた。

 しかしである。中学・高校で覚えた「単語力・文法力」がなかったら、こうははやくマスターは出来なかっただろう。僕が言いたいのはまさにここなのだ。スクール・イングリッシュ大いに結構である。それで英語運用力の基礎は形成される。

 短歌の場合も「愛唱歌のストックを増やせ」と言われる。どこか似てはいないか。それが増え、自分でもたくさん詠むことにより表現力がついてきたような気がする。

 それにしても思うのは、英語も短歌ももっとはやく始めればよかった、ということである。





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